観客視点でトリガーアラートを考える
※トリガーアラートとして扱われる内容に触れます
(詳細な描写はありませんが、”他人にされたこと”についての表記があります)
※以下の内容は記事公開時点においての考えです。
【トリガーアラート】とは
トラウマ(心的外傷的出来事)を刺激し、フラッシュバックを起こす可能性のある表現が含まれる場合に事前に出される警告のことをいいます。
ここ数年で特に演劇界でよく聞かれるようになり、公演前に告知を出す制作者/主催者が増えたように感じます。
それと同時に、大劇場の公演を観に行くことが多かった私が小劇場やイマーシブシアターに行く機会が増える中で感じたこと、変化したことがきかっけでトリガーアラートについて考えるようになりました。
◯よく聞かれるようになった、告知を出す制作者/主催者が増えた
舞台作品に限らず、作品に対してこのような注意喚起が出るようになったのは映画『すずめの戸締まり』で地震表現に関する注意喚起が出たところが印象として残っています。これは3.11の震災報道を通して、震災を経験した人にとってアラート音や地震がトラウマになっているものという認知が広がったから出たものだと考えています。
また、いじめ・ハラスメント・DVなどの話題が表沙汰になることになることも増え、そういった経験をした人についての情報が知られるようになり、それらの話題・情報に対し敏感になる人が増えたことによりトラウマを持つ人へ配慮をしようとする人も増えた結果、事前に注意喚起を出す作品が増えたのだと思います。
近年では映像作品においてインティマシーコーディネーターが入り俳優の安全を守りながら撮影を行うなど、守るべきところを守り、作品づくりをするという意識が育ち始めているのではないかと感じています。(インティマシーコーディネーターが必要な全ての現場に入りどこでも守られているとは言えないとは感じてはいますが一例として記載しました)
◯大劇場と小劇場とイマーシブシアター
コンスタントに観劇に行くようになってからはほとんどが大劇場に行っていた私ですが、ここ2〜3年で小劇場やイマーシブシアターに行くようになりトラウマまではいかないけれど苦手だと感じる表現が増えました。
・・・いや、増えたというよりも元々苦手だったことに気づいていなかったのかもしれません。
なぜ気づかなかったのかというと環境の違いが挙げられます。
大劇場は演者との距離が遠いため目が合うこともあまりなく、音や表現を環境のものとして感じるため舞台上の世界を見ている感覚が強い=自分ごとになりづらい環境だったのだと思います。
逆に、小劇場は演者との距離が近く、目が合うことも度々あり、狭いため音や表現を近くに感じる=自分ごとに近い環境なのだと思います。
最近増えているイマーシブシアターだと、自分がストーリーに巻き込まれていくことにより、より自分ごととして感じます。
この”自分ごととして感じる”ということについて。
・遠く離れた場所にいる人にボールを投げられても自分には当たらない
=心配したり不安にならない
・目の前の人にボールを投げられたら自分に当たるかもしれない
=心配や不安になる
そんな感覚だとお伝えしたら伝わるでしょうか?
音・台詞の内容・環境・表現・匂いなど苦手さを感じた内容は色々とありましたが、私はどの場合もそれらを強く感じてしまうことで苦手だと気が付き、この苦手さに気がついてしまった結果、パニックやフラッシュバックを起こすことはなくても観劇中に心がざわざわして不安になったり、観劇後にその内容ばかりを思い出してしまい楽しみきれないということが起きるようになりました。
それらの経験から、トリガーアラートは心的外傷的出来事だけを考えればいいのか?果たしてトリガーアラートを出したほうがいい内容とは?作り手ができること、観客ができることとは何か?を考えてみようと思いこの記事を書くに至りました。
記事内の言葉の意味についてーーーーーーー
※ここから先は、
・心的外傷的出来事=他者や自然が関わっていて自分ではどうしようもないこと
・苦手=他者の影響を受ける、受けないに関わらず個人の内面の問題も含めたもの
・トラウマ=他者の関わりの有無を問わず心の傷になっているもの
として記載します。
(言葉の定義と違うところもあり申し訳ありません。トラウマは精神的外傷と言われますが、外傷=外から受けたものでなくてもトラウマという感覚はあるものだと感じるのでこのようにさせてください。根本を辿れば外傷だ〜という話についても今回は割愛します。)
◯考えられる心的外傷的出来事だけに配慮すればいいのか?
現在の基準となっているように感じるトリガーアラートは
心的外傷的出来事=個人が一般的生活の中では経験しないような心理的に強い負荷となる出来事(例:いじめ、暴力、性的表現、自殺、LGBTQ差別表現、事故、震災など)が主な内容だと思います。
これらをトリガーアラートとすべき内容だというのは多くの方が理解をされるのではないかと思います。
ではパッと見ただけではこれらに当てはまらない、暗い状況が続く、大きい音が鳴り続ける、嗅ぐと気分が悪くなってしまう匂いがあるなどの場合はどうでしょうか?
一言にトラウマ/苦手と言っても
・理由や心的外傷的出来事の経験はないが苦手な表現がある
・心的外傷的出来事ではないがパニックや体調不良のトリガーになる
・トラウマになることがあってトリガーになる
など人によって原因も理由も様々です。
何かの原因がなくても苦手だという人もいれば心的外傷的出来事が関係している人もいます。
(例:「暗いところがダメ」という人がいた場合に、単純に暗いところが苦手だという人と、閉じ込められた経験があるからダメだという人がいる)
ですが、例に挙げたような内容はその人の経験や背景を知らなければ何が原因の根本なのかはわからない内容ではないでしょうか?
私が考えるべきだと思ったのはこの部分です。
この【見えない背景があるものにどう配慮するべきか】
100人いたら100種の原因があるのにその全てに対応するのは難しく現実的ではありません。
また、認識は経験や感覚の違いによってグラデーションがあり、同じ表現に対して”苦手”だと言う人がいてもその”苦手”の認識は異なります。
それらに細かく配慮や対応をしろというのは暴慢ですしそういった行き過ぎた配慮は望むべきではないと思っています。
配慮し過ぎれば表現としての選択肢がなくなっていく、公演を重ねていく作り手(劇団、作家、演出家等)がその時のことだけで考えてしまうと後々にあのときはこうだったのに・・・という意見が出る可能性があるなど制作側のリスクも考えられるため、苦手なことだからといって簡単にアラートを出すべきだと言うのは自己中心的で身勝手なことだと思います。
(誰が見ても問題になるようなあまりに過激な内容だったら言う可能性はありますが)
一方で、背景が見えないことに配慮することは難しいことだが、見えなくても心的外傷的出来事に該当することが原因だと想定される事ならアラートを出すべき内容に当てはまるのではないか?とも考えます。
これはとても難しい問題だと思います。作品の内容、表現方法、運営の方針によっても異なることですので、ここでこうするべきだという答えを出すことはできません。
だからこそ、作品制作に携わる一人一人が考えることになってほしいと思っています。
◯トリガーアラートを出したほうがいい内容とは?出し方とは?
考えられる心的外傷的出来事だけに配慮すればいいのか?を踏まえて、トリガーアラートを出した方がいい内容は
心的外傷的出来事=個人が一般的生活の中では経験しないような心理的に強い負荷となる出来事(例:いじめ、暴力、性的表現、自殺、LGBTQ差別表現、事故、震災など)
に当てはまるに内容だと考えます。
・・・それなら既にやっていることだと思われた方もいるかと思います。
この考えに至ったのは、作り手が他者の介入なし(誰かに聞いたりせず)に判断ができるものを基準として考えたからです。
心的外傷的出来事は原因を想定できることでトリガーになるか否かの判断がしやすいため出した方がいい内容だと考えます。心的外傷的出来事に該当しないが考えられることについても出したほうがいいと感じる内容もありますが、それらは経験や感覚の違いによって想定がしづらいことだと考えられるため必ずしも出した方がいいとは言えません。
また、トリガーアラートを出すことが必ずしも良いことだとは言えない場合もあります。
心配事のある人は事前情報により安心して観る選択ができますが、一切ネタバレはしてほしくないという人も居ると思います。出せと言ったり出すなと言ったり忙しいですが、トリガーアラートを出していることは周知し、その内容を見るにはワンアクションを挟むなど見たい人は見られるよう、見たくない人は見なくて済むような出し方ができるとベストだと思います。
◯作り手ができること、観客ができること
作り手側ができることとしては
何を発信し、何を発信しないか、理由と方向性の軸を明確にしておく(軸となる部分を公開しろという意味ではなく、必要に応じて説明するための構えや作り手の意識の統一を図るものとして)
内容に関する問い合わせができる趣旨をHPなどに記載をする
心的外傷的出来事に該当するトリガーアラートを出す
決めた方向性の軸に沿ったアラートを出す
アラートを出す際は見る/見ないの選択ができるようにする
だと考えます。(書いている以外の方法もまだまだあると思いますが一例として)
もちろん、心的外傷的出来事に当てはまる内容だからと言って必ずしもトリガーアラートを出さないといけないというわけではありません。
台本やネタバレに繋がるような内容を公開したくないという作り手の権利も守られるべきです。
そこは前提に置いた上で、
その表現がどれくらいあるのか(劇中に何度も出てくるのか1回だけなのかなど)を知ることができたり、(公演ギリギリまで内容や表現を揉むというのは当たり前のことだと思いますが)チケットを取る前にそれらの情報を知ることができたり、チケットを取った後に観に行くことが難しい内容だとわかった場合にキャンセルができたり、他の人に譲れるような環境だとより良い環境だと感じます。
トリガーアラートとして記載が無かったとしてもHPやSNSに内容に関する問い合わせが可能だと記載があるだけで問い合わせる心的ハードルが下がるので、こちら側のことを考えてくれていると感じます。
なんだかいろいろと要求を書いてしまいましたが、、、想定されることが幅広すぎて想定できない!難しい!と感じられる作り手の方は、
さよならキャンプさんが公開されている【観劇あんしんシート】をご覧になると作り手側での想定もしやすく、受け手にも情報が伝わりやすいかもしれません。
観客ができること
観客に向けて出されるものなのでトリガーアラートに対し直接的なことは難しいかもしれませんが、
観劇中に体調の問題で途中退出する人に好奇の目を向けたり、批判的なことを言わない。
こうしたことをしてくる人がいないだけで安心に繋がります。
さいごに
私は、選択できる環境が重要だと考えます。
気になってしまう内容がある人は、その表現があるか否か、どれくらいのレベルのものかがわかれば、行けるかどうか、何かあった時に逃げやすい席を選ぶといった判断ができます。
どんな人もなりたくてそうなっているわけではないことと、観劇に行くのに不安を抱える人でも観たいと思っているから向き合っている問題だとご理解いただければ幸いです。
作り手が安心して制作できる環境や作り手の自由も守られるべきですし、安心して観たいという観客の心身の健康も守られるべきだと思います。
理解が進んでいるからこそ気になってしまったり、善し悪しで判断されやすい状況になっているように感じます。
仮に、アラートを出すべきか悩んでいる。アラートは出したくないが(アラートにする程だとは思えないが)配慮はしたい。と考えているけれど、どうしたらいいかわからないという方がいらっしゃるなら、表現したい内容に対してどんな表現を除けば緩和される可能性があるのか、別の言い方や表現はどうだろうかというディスカッションをして一緒に考えてみたいです。
これが正解だというのは無いのかもしれませんが、作り手側/受け手側、双方でより良い環境を作っていければいいなと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでいただいた方へ
乱文にお付き合いいただきありがとうございます。
私は、この記事が一度考えるきっかけになればいいなと思い公開しました。
自分の苦手なものに気がついてしまった時、それが増えていった時、なんて弱くなったんだと思いました。ショックなことでしたし今後も弱くなり続けるのかもしれないと思うとちょっぴり不安です。
トリガーアラートが出ていないのに〇〇な表現があった。そう感じた時に全ての人に配慮されていないとは思いません。描くべき理由やその表現でないと伝わらないからその表現をしたのだろうと思います。
ですが、その表現があったことは考えてしまうと思います。
何度も言いますが、トリガーアラートを公表するしないは自由です。それぞれの制作者の方針もあります。
ですが、制作の過程でこれらの表現について考えられたのか、向き合ったのかどうかは個人的には大きな部分だと思っています。
作品と観客と誠実に向き合ってくれる人の作品は信頼できるようになります。
安心して制作/観劇ができる環境をより多くの人が考えられる環境であればいいなと思います。
大事な時間を割いて最後まで読んでいただきありがとうございました!