「身分不相応なものを持つこと」について考える
私はハイブランドのバッグを持っていない。
靴も、ワンピースも、ジュエリーもない。
興味がないわけではない。めちゃくちゃある。
デザインもかわいいし、質がいいから長く使えるし、なにより「エルメスの鞄にフェラガモの靴、アルハンブラのネックレスにロエベのブローチで練り歩きマウントを取りまくりてぇ」と思っている。
でも買わない(買えない)のは身分不相応だからである。
エルメスの鞄が欲しくてブログを読み漁っていたことがある。
エルメスをお持ちの皆々様の中にも色々な購入スタイルの人がおり、「身分相応な品」についてもそれぞれの哲学があるようだった。
自分の稼ぎで購入できるのが身分相応だとか、いや年を重ねて相応しくなるのだとか、はたまた長いお付き合いの有無が大切だとか、今は不相応だけどいい品を持つことで高みに近づけるよう頑張るだとか、色々である。
またブランド品はあくまでモノだからそれに振り回されるのは滑稽だという人もいた。
どれも一理あるように思える。
アラサーを迎えた今、私にも哲学がある。
「身分不相応な品は持たない」
自力で買えないわけではない。
いや買えないのだが、一年貯金をすればバッグくらいはなんとか買えるし、魔法のカードも持っている。
しかし身分不相応なのだ。
では私の考える「身分不相応」とは何か。
こんなことがあった。
休日昼間の東西線、そこそこ混み合っていて立っている人もチラホラいた。
うららかな秋の日差しの車内、乗客はどこかへ出かける人ばかりで、それぞれが思い思いのおしゃれをしていた。
しかしそんな和やかな雰囲気は、一瞬のうちに崩れ去ることとなる。
突然、乗客の少女がゲロを吐いたのである。
通路を挟んで私の隣に座っていた少女のゲロは、私と彼女の間に立っていたマダムの服と鞄に降り注いだ。
突然の出来事にマダムは狼狽を隠せない様子であったが、平謝りする少女にポケットティッシュを差し出していた。
私も狼狽えつつポケットティッシュを鞄から探し出し、それが鼻セレブだったため少女に渡すか否かしばし思案した。
私は感銘を受けた。
マダムの鞄は安物には見えなかったが、マダムは特に損害賠償を要求する様子も気落ちした様子もなく、淡々と次の駅で降りて行った。
私だったらどうだろう。
もし、購入したピコタンにゲロが掛かったら、私ならどうするだろうか。
間違いなく、とりあえず悲鳴をあげ、少女に損害を請求するために連絡先を聞いただろう。
あー!最悪!どうしよう!くらいは咄嗟に口に出るかもしれない。
ティッシュを差し出せないくらい落ち込んだだろう。
これは間違いなく身分不相応というものである。
身分相応というのは買えるか否か、似合うか否かではない。
何かのきっかけで汚されてしまった場合、「あぁ、大丈夫ですよ〜」と言えるもの。
狭い混み合ったレストランで鞄置きがなくても「床に置きますからお構いなく」と言えるもの。
それが身分相応というものだ。
人より物を気遣ってしまうような品は持たない方がいい。
ちなみに私は小汚いラーメン屋にたまに行くが、そういう店は大抵鞄が置けるスペースはない。
しかし、私の友人や彼氏は小汚いラーメン屋に行きたがる人で、私は小汚いラーメン屋の味を美味いと感じる舌であるので、ここで「えー…鞄置くとこないじゃん…やっぱやめよう」とか言って不機嫌になるようではいけないのだ。
鞄だけが釣り合ってないのにそれに無理に合わせることで、友人彼氏の気分を害し、揃って美味いラーメンを食べ損ねる羽目になる。
高級路線の店に行くと、店員さんは忙しくても必ず鞄が置ける椅子なり箱なりを用意してくれる。
その様子は必死そのもので、数多のクレームが垣間見える。
物を大切に使うのは大事なことだが、私はやはりバーキンを床に置けるようになりたい。
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