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「絵梨は何がほしいの?」
真夏の割れそうな日差しの下、聖が空を見上げながら気だるそうに聞いてくる。
「え? わたし?」
「そう。気になるじゃん」
「うーん。何だろう。愛?とか。なんてね」
「愛ねー。はは。女の子だねーやっぱ」
「俺はね。明日がほしいなー。」
「え? 何言ってるの? 明日なんてじっとしてても来るじゃない」
「うん。そこらへんにある明日はね。でも俺がほしいのは……」
「ほしいのは?」
「まあいいよ。それより暑すぎだよね今日」
「うん…… 気になるじゃん」
「ふふ。俺、今日用事あるからここで」
残酷なくらい美しい夏の揺らめきが、聖を包み込んでいく。今にも消えそうな聖の横顔が、汗をかいている。彼が撒き散らす透明な願いが、バラバラと溶けそうなアスファルトに転がっていったような気がした。

お昼の12時にセットしたアラームが鳴り響き、私を6畳の散らかった部屋に呼び戻す。鮮明になっていく現実はいつも重く、すぐに私の自由を奪っていく。言い表せないまとわりつくような退屈さが、私の部屋をいっぱいにする。何とか起き上がり、シャワーを浴びる。水に触れると、少しだけ気分がよくなる。身体の汚れと一緒に、わたしの心に溜まったどす黒いもやもやも、少しだけ逃げていくような気がするんだ。納品の翌日だけれど、今日も会社に顔を出す。同時進行していた別の案件のデザインが、うまくいっていないのだ。平良先輩の中でまだ明確なイメージが決まってないのだろう。だから、彼のオペレーターと化している私は、彼の中でデザインが決まるまで、ずっと会社で待機していないといけない。何ていうかもどかしくて、うずうずして壊れそうになる。クリエイティブって何なんだよって心の底から叫びたくなる。何とか美大を卒業して、新卒でデザイン事務所に就職してから2年。私は雑用係とオペレーターになって、ただただ日々に追われていた。生きる希望のようなものが、消しゴムみたいにどんどんすり減っていくのを、ただただ傍観しながら、私は自分の翼を少しづつかじってそこらへんにばらまいていた。何かに堪えるように、何かを叫ぶように…… 生きていくことに疲れたわけではなかった。ただただ言いようもない重くて黒い何かが、私にまとわりついて離れないんだ。こんな時、どうすれば良いのかわからない。でもいつでも私の心の中では、あの時の聖の姿がきらめいていた。何にも流されず、ただただ透明な世界と対話するそんな聖の姿が、きらめいていた。

「二海、ここ直ってないぞ?」
平良さんが面倒くさそうに言う。
「あっすいません。すぐ直します」
わたしは事務的に何の感情もなく答える。
「お前たまにぼーっとしてるからもっと集中しろよ」
「はい。すいません」
あと……これ買ってきてくれる?
「あっはい」
渡された紙には書いたいものリストが書かれていて、わたしはそれを買いに近くのコンビニへと向かった。
平良さんは良くも悪くも人に興味がないのだと思う。何ていうか、自分とパソコンしか見ていないんだろう。それでいて、シンプルだけどどこか毒があるようなデザインを作る。きっと心に溜めた感情のカスみたいなものが、毒になってデザインに現れるのだろう。コンビニでお願いされたものを揃え、自分用に野菜と果物のスムージーを買う。これを飲むと意識が上がるような気がするんだ。おまじないみたいなもんだ。コンビニに並べられたたくさんの商品たちが、つるりとした人工的な光を放ち、わたしを無機質な日常のベルトコンベアーの上に乗せようとしてくる。でも、わたしは見えない翼でそれを防いで、日常の色を守ろうとする。

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