女王蜂「鉄壁」とわたし

わたしには、中学生の頃からずっと、大事に聴いている曲がある。
女王蜂というバンドの”鉄壁”という曲だ。
何度も救われて、というか、生かされてきた。

"私が祈ることは、これ以上私が愛したすべてのものにどうか、不幸が訪れませんように"
この一節が、わたしの人生の軸になっている。
この曲に出会えたから、わたしは今生きている。
ありがとう女王蜂。

※すべては完全深夜テンションのオタクの感想です。


初めて女王蜂に出会ったのは、中学1年生の秋。
中学に入ってYouTubeを覚えて、"邦ロック"にハマって買い出したROCKIN' ON JAPANに、女王蜂が載っていた。

そのページは今も鮮明に思い出せる。
赤い照明で撮られた写真、メンバー全員顔がわからないほどのバッサバサのつけまつげとハイヒール。
その写真と、記事内の「年齢も性別も国籍も不明」という文言が気になって、次の日には地元のTSUTAYAで"魔女狩り"を借りた。

1曲目からビジュアル通りの曲たちが続き、ちょっと好みかも〜くらいのテンションで聴き続けてからラストの"棘の海"、なんて優しい曲なんだ、、とそれまでとのギャップにやられてしまった
あの瞬間から今日までの約12年、離れた期間もあったけど、わたしはずっと女王蜂のファンでいる。

それから何ヶ月か経って、"鉄壁"に出会ったのは中学2年生の秋。
この曲に辿り着いて、このすごさを感じ取った14歳のわたしに出来うる限りの称賛を送りたい。
当時から歌詞よすぎる、、、!!!とは思っていたけれど、年をとるほど、経験を重ねるほど、どんどん重みが増していく。

"生きていること、死が待つことは何より素晴らしいこと。誰にも奪わせないで"
大人になってから気付いたけれど、わたしはたぶん、何不自由ないどころかだいぶ恵まれた人生を歩んできている。
それでも、まだ世間を知らない頃は、自分を取り巻く小さい世界のすべてを憎んだり、いっそ死んでやろうと思ったことが何回もあった。

だけどその度にいつも、この曲が、特にこの歌詞が、こんなことのために死んでなんかやるもんか、という気持ちにさせてくれた。だから今も死なずに生きてる、大感謝。
(そういうときに意図的に聴いていた訳ではなく、当時持ってたiPodで全曲シャッフルしたら一曲目に流れてきたりとか、そんなかんじで聴いてた。)


"許したい 認めたい 自分を愛したいけれど、"

ちょっと話は変わって最近考えてることになるんだけど、みんな自己肯定感低すぎない??

既にいろんな人が指摘しているけれど、知らない人に向かって顔も名前もわかられない状態でひどい言葉をぶつけてしまうのは、自分に満足できていなかったり、自分を愛せていないからなんだろうなとわたしも思っている。

コンプレックスや劣等感があるから、自分よりも下だと思える対象を見つけては大喜びで攻撃を浴びせて勝ったつもりになって、それでなんとか自分を保っているんだろうなと。昔のわたしは少しそういうところがあったので、気持ちは少しだけわかるかもしれない。

でもね、”目を逸らさずに鏡を見ればいちばん可愛い人が立ってる”のよ。
"酷い顔じゃない、貴方のせいよ。ぶつける先にはわたししかいない"

「自分が招いた結果なんだから責任を取れ」ということではなくて、「見ず知らずの他人よりも、もっと自分を見てあげて」ということ。

不幸が訪れないようひたすらに祈る”わたしが愛したすべてのもの"には、自分自身も含まれるのかな、と最近は思っている。

会ったこともない他人に酷い言葉をぶつける暇があるなら、いちばん可愛い自分に手をかけてあげる。
わたしは、そうしていくうちに少しずつ他人にも優しくできるようになってきた気がする。謝謝、女王蜂。


曲ができた当時、アヴちゃんまだ未成年だったんじゃないかな?(女王蜂と出会ったきっかけの記事に「まだ10代との噂もある」と書かれていたので、そこから推測している)

その若さで一人の人間を救った我が推し、天才なり。
一生ついていきます。アーメン。

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