「大人はみんなそういう」

以前違うところに住んでいたとき。
当時はまだ恋人だったパートナーと同棲していた時のこと。
ちょっとしたきっかけで、10ほど離れたお姉さんとお友達になった。
彼女はネイリストを目指していて、私は練習相手として何度か彼女の家にお邪魔した。

彼女は喫煙者で、私も同じく喫煙者だった。
ネイルを施してもらい、乾燥している間や準備の合間にベランダに出て2人で煙をくゆらせていた。

彼女には小学校3年生の息子さんがいた。
今はもう中学2年生ごろだろうか。
あるとき、私と彼2人きりになる時間があった。
今でもその時のことは鮮明に覚えている。

「なんでタバコを吸うの?」

純粋な疑問だったのだろう。
母親と同じく喫煙者の私に聞いてみたいと思っていたのだろう。
「子供にはわからない悩みがあるんだよ」なんて、ありきたりな答えを捻り出した私に、彼は寂しそうに呟いた。
「大人はみんなそういう」

まだまだ成長途中にあるこの子を傷つけてしまった、とすぐにわかったが、だからと言ってそのときはかける言葉が見つけられなかった。

社会と呼ばれるものにでると学生時代がすぐに恋しくなるほどにしがらみが多くなる。
学校では教えてくれない「社会の常識」を知らないと一瞬で使えないやつ認定される重圧。いつまでも学生気分ではいられない、社会人として一刻も早く使えるようになれと言われているような外圧。一気に広がる人間関係。嫌いな人・苦手な人と距離を置けず、いやでも付き合っていかなければならないストレス。多方面の顔色をうかがわなければならないし、接客業になると営業成績や客対応への気遣いも求められる。

今あげたことはほんのさわりだが、勉強をしていればよかった学生時代が恋しくて仕方がないと思うほど、社会に出るということは至難の連続だ。

それを彼に伝える言葉を、私は持ち合わせてはいなかった。
私もかつて、「子供にはわからないよ」という言葉が死ぬほど嫌いだったというのに。

なまじ語彙力が通常よりもあると思われるがゆえに、子供に伝えようとして伝えられなかった。
簡単な言葉に変換できてこそ、「言葉を操る」と言えるのに。

唐突にそんな出来事を思い出したことに、何かの意味はあるのだろうか。
あの時の後悔と気まずさとが一気に蘇ってきたのはなぜだろう。
きっと意味なんてないとわかっていても、理由を探さずにはいられない。
こうして記事に書くことで過去の私の過ちを清算しているような気持ちになってくる。
同じ鉄は踏まないようにしなければという自戒を込めて。
今こうして記事にすることで、きっとこの先しばらくは胸に残るだろう。


つむら。

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