「友達」を作るということ
新しく友人関係を構築することが、酷く怖い。
足がすくんでしまう。躊躇ってしまう。
恐怖で胸が締め付けられそうになるほどの思いがする。
この人は私を受け入れてくれるだろうか。
変なふうに思われないだろうか。嫌なやつだと思われないだろうか。
「嫌いな人間」に分類されないだろうか。
他者が自分のことを受け入れてくれなかったらどうしようと、交友を深める前からあれこれ余計なことを考える。
全く無駄な作業であると頭ではわかっているのに。
心は追いついてこないのだから、人間とは度し難い生き物だ。まったく。
余計なことを考えるようになったのはいつからだろう。
友達作りに打算的な考えを持ち出すようになったのは「大人」になったからだろうか。
学生時代を思い返してみると、そこまで深刻に「友達作り」について考えたことはなかったと思う。
そこには共通の話題が必ずあったからだろう。
「勉強」のこと、「先生」のこと、「部活」のこと、「先輩・後輩」のこと、「学校行事」のこと。
会話の糸口は無数にあった。
そこから会話を広げることもできたし、個々人の考えが何となく理解できて自分に合わないな、と思えばフェードアウトして挨拶だけする関係に戻ることもできた。
同級生は1人だけではなかったから。幸いにも学年は100人以上の規模の学校に通っていたからというのも大きい。
喧嘩して違う人たちと行動するようになり、仲直りしてまた元のグループに戻ったり新しく行動するようになった子たちとも遊んだり、女子らしい世界の作り方をしていた。
社会人をまともに経験していないので確かなことは言えないが、会社に所属していれば似たようなものなのかもしれない。
苦手な人・合わない人とも仕事上付き合っていかなければいけない、という点は学生とは全く異なるが。
現在無職に近しい主婦という肩書きではそんな機会もなかなかない。
外面を気にしてしまう。人によく思われたい。
素敵な人だなと思われたい。連絡を取り続けたいと思われるような立ち位置にいたい。
そんな自己承認欲求に塗れているのは、私自身が「私」という人間に自信を持てていないからかもしれない。
そんな私は今、悶々としていたところから一歩踏み出して私の世界を広げようとしている。変わろうとしている。
最大限の敬意と共に私は私を褒め称えたい。
人は変化を嫌う生き物だ。
そんななかで少しでも変わろうと泥臭くもがく私は、最高に好きな自分の姿だ。
誰にも文句は言わせない。
今の私はかっこいい。たとえいろんな欲に塗れていようとも、一歩を踏み出したことに対して称賛を贈ろう。