指導と更生、私刑と逆恨み。噛み合わなさから起きる二次災害
罪を憎んで人を憎まず、という言葉がある。
そのうち「あった」化するかもしれないけど。
どうしてこういう事を言い出すか。
最近の風潮のクソエイムっぷり焦点の合わない行動が酷いと感じているからだ。
大前提として、
「悪いこともせず、真面目に普通に生きている人達が加害される」
それそのものがまずよくないと、箱は思っている。
そこは理解しておいてほしい。
そのうえで、対処の仕方がよくねえなあ、と感じている、という話。
・なぜ「焦点が合っていない」と感じているのか
本来目を向けるべき場所とは違う部分を、
徹底的に叩いて潰そうとする人があまりにも多いから。
なぜ、行動を罰されるのか。
それはその人が「したこと」によるもの。
「した人」の人格否定をしたりするより先に、
まず「してはいけない」となっていることをしてしまったこと、
そこを注意する必要がある。
必要なのは、行為に対しての処罰。
そこから「なぜそれがよいことではないのか」などを学んでもらい、
その人が意味や理由をきちんとわかって、
「もうそんなことをしなくてもいい」となり、
加害性の除去がなされる、という流れが望ましいはずである。
けれども、どうだろう。
SNSなどで荒れて騒いでいる人々は、
何をもってして、相手を攻撃しているだろうか。
「自分がそれに対して覚えた怒り」を、
ただ闇雲に振り回しているだけだったりしないだろうか。
ろくに情報の精査もせず。
それでは、加害者が「反省する」という段階まで辿り着くことを、
かえって邪魔しているだけ、なのだが。
・どうして逆恨みが厄介なのか
他責思考から抜け出しにくくなるから。
「あいつのせいで」という感情ばかりが募っては、
自らの犯した過ちを見失ってしまう。
「自分のした『その行動(犯した過ち)』が悪かった」に辿り着けない。
それでは、反省や自戒に繋がらないのだ。
反省するどころか、今度は自分を叩いてきた相手に復讐してやろうとする、
といった方向に舵を切ってしまうことも多い。
無責任な「怒りによる攻撃」が呼び水になって、
新たな別の被害を生んでしまうことになる。
結果として、加害が繰り返されたり、
被害の範囲が無駄に広がってしまった……
なども起こりえることになってしまうわけである。
おまけに、その無責任私刑でスッキリしたかった人らは、
自分が後の加害の一端を担ったという自覚もしにくいのだ。
大半は、その視点を持つことなく、また同じように騒ぐだけ。
「何も成長していない」というセリフを吐かれても、
反論できないぞ、そのありさまでは。
・「どうせ◯◯(なにかしら特定の属性)には言ってもわからない」という人々よ
まさか
「自分の伝え方は完璧であり、それで理解できない相手に問題がある」
なんて思っていませんよね……?
気が付いていないだけで、
あなたの認知にも何かしらの歪みがあるかもしれないのに……?
同じ論法を自分が使われる側になった時、
言ってきた相手に反論したくなるなら、
おそらく認識がすれ違っている部分があるから、
すり合わせを行うタイミングだと思うぞ。
本当に何度もその都度工夫して伝えていたけど、
どのやり方でもわかってもらえなかった、というケースも実際にはあるし、
そちらであれば、箱も素直に、
「お疲れ様でした。
あなたはよく頑張ったので、
もうその件からは手を引いて休んでください」
となる。
その場合はもう、適した場所(福祉や医療)にバトンを渡すしかないので。
せめて、引き際を見誤らないでほしい。
我慢のしすぎで死んでしまったら、元も子もない。
何事にも、限界は、あるよ。
でも、ネットで見かける炎上案件とかだと、加害側はほぼそんな(理解されようとする)努力してねえんだよなあ……
「今、この時を生きる」ことと、
「今起きていることしか見えていない」は違うのだ。
多分それもわからないか、同じ物に見えているのだろう。
そうすることで何が起きるのか。
起こしたことに責任を持てるのか。
それらの結果として己が身に降りかかる出来事を、
相応の報いとして受け入れられるのか。
「自分の頭で考える」という行動コストまでケチらずに、動こう。
……みたいなことを言うような人を一笑に付しておきながら、
いざ自分に火が付けば喚き散らかす。
そんなみっともないニンゲンも増えた。
箱は、ちょっと疲れた。
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