好意は伝えられるうちに伝えよう、と考えている

どれだけ自分の中でそれが強いものであっても、
伝えないままなら、相手にそれをわかってもらえやしないのだ。
こればかりは「察せ」「言わなくてもわかるだろう」ではないのだ。
流石に、それは少々傲慢な考え方ではないかと、箱は思う。


・人間は、永遠に生きていられる存在ではない

伝えたい人が舞台を下りて、もう戻ってこないような、
そんな事態は、この世界にも沢山ある。

わかりやすいのは死別だろうか。
著名人の訃報の中に、自分が知っていたような人が、
ちらほら入るようになってきていたりする人もいるだろう。
死んでしまえば、生きている人からの声は、
たとえ届いていたとしても、
死者側からは「反応を返せない」ものになる。

どう頑張っても気持ちは一方通行だ。辛いと思う。

現代は、もはや、
「応援しているクリエイターはまだ若いから」
などと、安心してもいられない時代である。

若さ故に無茶なクリエイティブ活動を続け、
早逝してしまった方々も、それなりの人数になってしまった。
素直に辛い。

なお、自分が先に死ぬ側な場合も、
遺言みたいな形で何かしらに残していたとしても、
それに対する反応はわからない状態になるわけなので、
それを考えて虚しくなるなら、
別の形で、生きているうちに届けようとしてみてほしい。

あなたの遺言を読んだ側が無理解だったが故に、
馬鹿にして笑ってる、とかまで起きるかもしれないやつだから、
本当によく考えてみてほしい。
ガチの死体蹴りだぞ……


・心は折れるし、折られることもあるものだ

悲しいことだが、ネットでよく見かける(ようになってしまった)のは、
筆を折った創作者などだろうか。
心無い声、怪我や病気、環境の変化。
継続の意思を妨害する要因も、色々ある。

伝えたいままの物を伝える「いつか」が来る前に、
それを受け取る相手は、いなくなりえてしまう
のだ。

そうなって悔やむのは、他の誰でもなく、
抱えた想いを伝える術を無くした当人ではないだろうか。

そして、それを伝えられなかったことで、
維持できていたかもしれない熱を亡くした側からは、
諦めた後に、いくら熱いものを伝えられた所で、
「今更もう遅い」ともなりかねない。

原因が、好意を上回るだけの悪意であったなら、
なおさら、複数の意味での「どうして」にもなる。
すごく不毛。

どちらにとっても幸せな事にならないのなら、
せめて自分は悔やまぬ選択をしよう、と箱は思う。


・ただし

「どんな形であっても伝えればいい」ではない

いくら箱でも、
「周りにどんな迷惑をかけてでも、最終的に伝わればいい」
などとは言いたくない。
それは普通に「ただの迷惑行為」であり、
逆に相手を傷付ける可能性さえある。
好意を抱いた相手を自分が折ってどうする

そこは流石に考えることができると信じたい。
「恋は盲目」という言葉も存在するが、
いい意味で使われている言葉では、決してない。
対人要素であるからこそ、常識や理性を捨てちゃあ駄目だ。



伝わった好意で、生きるものはある。

コンテンツなら延命されるかもしれないし、
本編からの番外編や次回作、スピンオフに繋がったりもするだろう。

人間なら、心の燃料になりもする。
派手に燃え上がる炎でなくとも、
静かに灯る燈火になるかもしれない。
心があたたかくなる言葉、は、確かにあるのだ。

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