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読書日記 中原一歩・著『小山田圭吾 炎上の「嘘」』 結局、誰も責任をとらなかった
毎日、テレビはオリンピックばっかり放送している。オリンピックも、大抵、日本人が出ていて、メダルが取れるとか取れないといった競技ばかりだ。負けてしまったものは、それきり放送しないし…。
ついこの間まで毎日やっていたアメリカ大統領選挙やトランプのことなんか、ほとんどやらなくなった。大谷翔平のことも、放送時間が少なくなった。
私も競技は少し見ているが、自転車とかスケボーは、スローモーションによる再現と解説がないと、何がなんだかさっぱりわからない。オンタイムで見ていても、すごさとスピードは感じるけれど、それ以上はわからないのだ。
その他にも、採点競技は、さっぱりわからない。全部、ビデオ判定にすれば、一応、公平な気がする。やっぱりオリンピックは、陸上競技が一番いい。誰が勝ったか負けたか、素人でも一目でわかるからだ。
今回のオリンピックは、パリで開催されている。前回は、東京だった。コロナ禍があって、一年延期して、無観客でやった。
もう遠い昔のように感じられるけど、たった3年前のことだ。
招致に際しては、お金が動いたとか、変なハナシがいっぱいあった。JOC前会長の竹田恒和は、汚職疑惑が晴れていないままだ。海外に行ったら逮捕されるから日本から出られないとか、何かに書いてあった。本当かどうかわからないので、ネットで調べてみたが、わからなかった。
その他にも、エンブレムの盗作問題とか、オリンピック委員会の森喜朗会長の差別発言とか、色々あった。開会式と閉会式の担当者が女性タレントに対するデブ発言で解任されたり、演出担当だった元ラーメンズの人が過去のホロコーストネタが蒸し返されて、辞任したりした。
音楽担当の一人だった小山田圭吾も辞任した。小山田の場合は、過去に陰惨な障害者いじめをやっていたとか言われて、以前からSNSで水面下でくすぶっていたのが、一気に炎上して、辞任に追い込まれた。
『小山田圭吾 炎上の「嘘」 』というこの本は、その小山田圭吾の騒動をまとめた、ノンフィクション本だ。
著者は、ノンフィクションライターだ。音楽畑には縁のなかった人で、料理研究家の小林カツ代の評伝などを出している人だ。
小山田圭吾の音楽も聴いたことがなく、騒動が持ち上がってから、小山田に興味を抱いたようだ。主に、週刊文春誌上で小山田本人にインタービューをして、その後、取材をして本書にまとめたようだ。
2021年の小山田騒動の時は、無関係なその他大勢の人達が騒いで、問題がおおごとになって、収拾がつかなくなった。小山田は国民の敵のような扱いを受けて、社会的立場も、仕事も、全部を失って、謹慎生活をするしかない羽目に陥った。
小山田騒動が始まったとき、原因とされた1994年の『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビュー記事と、1995年の『Quickジャパン』の「いじめ紀行」という記事を探して、私も読んでみた。
当時は、ネットで全文を掲載しているサイトがいくつかあった。それを読んだら、小山田圭吾にはなんら問題がないんじゃないかと、私は思った。どう読んでも本人は傍観者で、問題とされている虐め行為を直接やっているとは確認できなかったし、記事自体が30年も前の雑誌に掲載されたものだったし、虐めがあったとされる時期はそれよりもさらに古い、小山田が小学校とか中学校のことだったからだ。
どう考えても責任を問えるような問題じゃなかった。
『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビューでの小山田圭吾は、露悪的に悪乗りして語ってはいるけれど、刺激的な見出しと、ハナシの内容が合っていなかったし、文責は、インタビューアーにあった。
『Quickジャパン』の記事の小山田はいたって冷静で、「いじめ紀行」という、虐めた側と虐められた側が対談する、という、そもそもが無理な連載をやろうとしている新人ライターに小山田が協力してあげている感じが伝わって来た、おかしなものだった。
原典を読めば、虐めの実態はなくて、問題にすることもないと思っていたのだが、世間的にはそうはならなかった。その後も、原典に当たる人はいなくて、間接的な情報に影響されて、虐めは許されないと小山田を非難する人達ばかりで、小山田騒動は、どんどん大きくなっていった。
騒動が大きくなっても、誰も原典を読まなかったのは、なんでだろうか。それが不思議だ。
私の周囲でも、ほとんどの人が原典を読まずに小山田を語っていた。ライターなんかやっている人でも、原典を読まずに、小山田を非難する人が少なからずいた。これには驚いた。
原典を読めば、小山田を非難することはおかしいことがわかるよ、と言い出すメディア関係者も登場しなかった。
例えば、モーリー・ロバートソンなどの小山田非難は、明らかに原典を読まないでやっていたのだが、それを指摘されても、モーリー・ロバートソンが意見を変えたり、反省の弁を明らかにしたりはしなかった。まして、小山田圭吾に対して、訂正や謝罪もしていない。周囲も、モーリー・ロバートソンにそれを求めていない。何でだろう?
メディア全体がそんな調子で、小山田騒動を、端から静観していた。
ジャーナリズムが、ジャーナリズムとして機能していれば、小山田騒動は、あのような推移を辿ることはなく、速やかに鎮静していたのだと私は思う。ところが、当事者である『ロッキング・オン・ジャパン』も『Quickジャパン』も、自社のホームページで一回、世間へ向けたへコメントを載せた程度で、あとはスルーしている。
『ロッキング・オン・ジャパン』は、完全に無視と言っていい。当時の編集長で、インタビュー記事を書いた文責者である山崎洋一という人に至っては、逃げまくって、現在では逃げ切った感じがある。
『Quickジャパン』は、一年くらい休刊して、その後、ひっそりと再刊して、現在は普通に発行されている。休刊時も、再刊時も、小山田への言及はない。
これで明らかになったことは、『ロッキング・オン・ジャパン』も『Quickジャパン』も、言論の載る雑誌ではないということだ。結局、パブ記事中心の広告媒体なのだろう。
本書、『小山田圭吾 炎上の「嘘」』を読んで不思議に思うのは、著者が無条件で小山田を肯定していないことだ。何らかの非が小山田にあるという立場をとっている。私は、小山田圭吾には非はまったくないと思っている。
そもそも小山田騒動は、ジャーナリズムの問題だと思っているので、この本の著者であるノンフィクション・ライターがジャーナリズムの人なら、日本のジャーナリズム全体の問題として、掘り下げて欲しかった、と思う。が、著者にそういう意識はあまりない。
小山田騒動を取り上げた他のメディアへの取材もないし、今頃、本にして出した割には、『Quickジャパン』の記事に対する考察が皆無なのも気になった。
また、ミュージシャンやアーチストが問題を起こしたり、問題に巻き込まれたりしたら、活動を全面的に停止したり、表現作品である商品の販売をやめて、回収したりするのは、妥当なことなのか、ということについても、掘り下げて欲しかった。だから、小山田圭吾に関りのあった、音楽関係者やレコード会社、出版社、CDショップなどにも取材をして欲しかった。
現在、小山田騒動は、もう完全に終わってしまっている。当時、大騒ぎをした無関係の人達は、すでに興味を失い、世の中では小山田問題は、なかったことのようになっている。今では小山田圭吾のことを語る人もいない。
小山田圭吾は、なんとか仕事に復帰できているし、以前は小山田を無視していた雑誌も何事もなかったかのように、記事を載せている。雑誌はなんで普通に載せているのだろうか?
最低限、2021年の小山田騒動に関して、当時の立場とその時下した判断と、現在、小山田を取り上げることにした違いを、明らかにしてからでないと、小山田の記事を載せてはいけないのではないか? ……私が固すぎるのだろうか?
小山田圭吾は、この3年間、嵐が過ぎるのをひっそりと待って、仕事に復帰した。ほとんど自力だ。メディアもその間、何も言わず、静観、傍観していた。
それと並行して、小山田騒動に関わった人たちの、誰一人も、小山田圭吾に謝っていない。なんでだろうか?
関係者以外でも、小山田圭吾騒動について、語ったり、SNSで何か書き込んだことのあるメディア関係者は、全員、小山田に謝罪するべきだ、と思う。原典を読めば、小山田圭吾に非がないことはすぐにわかる。
それを公にしないで、誰も彼もが、スルーをしたのはどうしてなのだろうか?
さっきも書いたけれど、せっかくこういう本を出すのなら、自粛なんだか締め出しなんだかわからないが、CDの発売中止や、コンサートの取りやめって、妥当な対応だったのか? あれらの決定は、誰がいつ、どのように考えて判断を下したのか? その辺についても取材して欲しかった。
ということで、この本は、ノンフィクションにしては取材範囲が狭いし、重複は多いし、この内容で本にするなら、半分くらいの頁で済むと思った。