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アニメ日記 原作よりもアニメの方が画面が緻密で規模が大きい



ネットフリックスでアニメも、結構、見ている。見たのは、どれもスマホで読んでいるマンガだ。『スパイファミリー』、『チェンソーマン』、『怪獣8号』などだ。いい年をこいて、私はマンガも結構、読んでいる。

おかげで、知り合いともあんまり話が通じない。みんな孫ができたとか子供が結婚するとか言っている時に、アニメがさあ、って言っても誰にも相手にされないのだ。

なんだか、さびしい。

今回見たアニメは、どれも一気見だ。『スパイファミリー』30話くらいあったので、20話くらいまで見た。『チェンソーマン』は12話で未完だ。『怪獣8号』も12話で未完だ。


三つとも、マンガよりもアニメの方が、ずっと手がこんでいる印象を受けた。アニメの画面は緻密で、背景はこれ以上にないくらい写実的だ。実写映画ではよく見るカメラアングル、焦点のブレや暗転などに加えてて、アニメでしか表現できない視覚的な効果をも加わって、様々な実験を試みている。

そしてどのアニメも、ものすごい数の人手がかっている印象を受けた。作り手の人数は、軽く100人を越えて、もしかしたら数百人くらいいそうな気配もある。

このアニメの規模の大きさに驚いた感覚は、全然知らないバンドが、実は東京ドームを二日間やるくらいメジャーなのだと知って、驚いたのと似ている。


今回の3作品とも、1話、30分弱のアニメなのだが、劇場公開の90分作品くらいの製作規模を感じさせる。優秀な技術者が集まって切磋琢磨して、現在持てる限りのテクニックを投入して、集団作業をして出来上がった作品、という印象だ。

『チェンソーマン』などは、毎回、エンドロールが異なっていた。曲も、きっと、今の日本のロック界では、とんがったあたりのアーチストの曲が起用されているのだろう。

その曲に合わせて、エンドロールのアニメも一話ごとに作られている。手の込み方が尋常ではない気がした。

それらを感じるためだけに、これらのアニメを観てもいいのではないかと思った。

一方で、原作に当たるマンガののほうは、アニメに反して、家内制手工業のような印象を受ける。

未だに個人の手わざがすべてで、見た目の緻密さはアニメよりも数段劣るとしても、集団作業が越えることの出来ない個人の領域というものがあるのだと、示してくれている気がする。

そして私は、そういった個人の力量にもやっぱり感動するのだった。

ところで私は、実はアニメが苦手だ。動画と背景が分離して見えるのだ。調子がいい時は、それでも最後まで見ることが出来る。でも調子が悪いと、まったく種類の別のものが、無理やり一つの画面に合成させられているようで、見ていると具合が悪くなるのだ。だから、アニメを見られたのだから、このところの私の調子は、いいのだ。

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