ブルース・チャトウィンの顔
1 かっこいいノマドと悲惨なノマド
この間から、時々、チャトウィンのことを考えている。この間というのは、映画『歩いて見た世界』を観てからだ。吐き出してしまわないと、頭の中が落ち着かなくて駄目だ。ということで、とりとめもなく書く。おそらくとっても的外れで、個人的な文章になると思う。チャトウィンが好きな方には、ムカつくような内容になっていると思うので、予めごめんなさいです。
『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』という映画の原題は「Nomad : In the Footsteps of Bruce Chatwin」となっている。Nomad は今はやりのノマドだ。
ノマドというコトバは、日本だと、かなりオシャレなイメージで流布していて、場所にとらわれず自由を謳歌している人みたいな感じに使われている。だから、ノマド・ワーカーというとオシャレな高級とりのイメージだけど、アメリカだと昔からある季節労働者のことだ。
映画『ノマドランド』の原作となったジェシカ・ブルーダーの書いた『ノマド 漂流する高齢労働者たち』を読むと、現代の季節労働者たちの悲惨な現状が描かれていて、暗い気持ちにしかならない。結局、本当のNomad がどんなものなのかは、私にはよくわからない。
しかし、ブルース・チャトウィンと一緒に使われるノマドという言葉は、日本でも海外でも肯定的な意味で用いられていると思う。移動するとかさすらうといった、状態を示すコトバではなく、ある種のロマンのあるステイタスを示すコトバのようなのだ。
ノマドって、なんか胡散臭く感じる。
私は英語が苦手なので、最近はネット翻訳をよく利用している。昔みたいに辞書なんかひかない。
この映画の原題にある Footsteps という英単語をネットで見ると、「歩み、足どり、歩幅、足音」という意味が出てくる。邦題にある足跡は「そくせき」と読ませるのだろうか、「あしあと」と読ませるのだろうか。「あしあと」を英語にすると、footprint、 footmark という単語にもなるらしい。
日本語の「そくせき」には、業績とかいう意味も入ってくるから、業績を英語にすると、work とか results といったまったく別の単語が出てきて、足=Foot から、だいぶ離れてしまう。だから、やっぱり あしあと なのかなあ、と思う。
「Nomad : In the Footsteps of Bruce Chatwin」を日本語に直訳すると、『ノマド ブルース・チャトウィンのあしあと』で、意訳すると『ブルース・チャトウィンという旅行者』とかになりそうだ。もちろん『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』も間違っていないけれど、ノマドがどこかにいっちゃってる気がする。
2 話し上手な人たらしとエイズ禍
ブルース・チャトウィンは1940年に生まれて、1989年に49歳でエイズが原因で亡くなっている。最初に頭角を現したのは、20代の前半に就職した美術骨とう品のオークションの会社「サザビーズ」でのことだった。
チャトウィンは、美術品の真贋を見極める鑑定眼に優れていることから、印象派を担当することになる。そして、結果的に印象派絵画の売買価格の世界的な高騰に、相当な役割を果たしている。
私の常識から考えると、入社間もない、20代前半の人間に、印象派の作品を鑑定させるなんてありえない。そいうサザビーズという会社が胡散臭く感じられる。そもそもたかが絵画や骨董品に高値が付くシステムって、胡散臭いではないか!
ありえないと驚くが、チャトウィンが担当したということになっている。本当に鑑定眼が優れていたのかは、私にはわからない。チャトウィンは、ものおじしない雄弁な男だったというから、口八丁だったことは確かだ。鑑定というのは科学的な作業だと思うのだが、チャトウィンの鑑定は、直観とコトバによる断定が優先していたのではないか、と勝手に想像している。
チャトウィンについて誰もが共通して語っているのが、チャトウィンのお喋りについてだ。チャトウィンは、のべつまくなくしゃべりっぱなしで、そのハナシがとても面白かったという。どんな些細なことでも、聞き手はぐいぐい引き込まれて、チャトウィンの魅力にやられてしまうのだという。
チャトウィンのハナシは、その内容が本当なのか嘘なのか判断がつかなかったけど、聞いているぶんには、とにかく面白かったという。嘘っぽいなあと思いながらも、最後まで聞きたくなるようなハナシで、しかもほとんどの人間が、話しているチャトウィンのファンになってしまうのだという。とにかく誰からも好かれる魅力的な人だったようだ。これはもう人たらしの類だ。
話し上手で人たらしとなると、チャトウィンは、ほとんど詐欺師ではないか、と私は思う。偏見かもしれないが、私がチャトウィンの本に感じる胡散臭さは、その辺りから匂ってくるのかもしれない。
話し上手のわりに、チャトウィンの小説は、断片を寄せ集めた錯綜した印象のものが多いのは、どうしてだろうか? 話を、ライブで喋り散らすのは得意でも、まとめ上げて文字で定着させるのは苦手だったということか。そういう人は確かに存在している。
その後、チャトウィンは、オークションの仕事に飽きて、考古学者を志すも成就せず、なし崩し的に旅行家になる。旅行家なんて職業があるものかと言われそうだが、そうとしかいいようにない存在になっていく。
初期の頃は、生計は、妻が支えたという。妻とは、サザビーズの同僚として出会っている。旅行家になったチャトウィンは、旅をして、文章を書いて、本を出して、結果的にその本の評判が良くて、結構、売れて、まとまった収入になったらしい。
その後は、やっぱり旅をして、旅先で文章やら小説を書いて、出版して生活をしている。だから職業は旅行者というより、作家と言った方がふさわしいのかもしれない。小説が出来上がる前に、前金をもらっているから、出版社もチャトウィンのことを商売が見込める作家だと認識していたのだろう。
ある時期に、チャトウィンは、同性愛に目覚めて、ゲイになる。奥さんがいるから男女両方を愛するバイセクシャルなのかと思ったが、伝記を読むと、ゲイに転向したような感じだ。そして、この辺が私には理解できないのだが、妻公認のもとで同性と交際し、3人で暮らしたりもしている。
また、旅先のニューヨークでは、写真家で年下のロバート・メイプルソープにレイプされたりしている。メイプルソープも、パティ・スミスと同棲している間に、同性に目覚めてゲイになった人だ。
チャトウィンは、そういった奔放な性生活の過程でエイズに感染して、1989年に亡くなっている。チャトウィンが亡くなった1月18日のすぐ後の3月9日に、メイプルソープが、やはりエイズが原因で亡くなっている。
3 モレスキンとチャトウィン
また、チャトウィンは、文房具業界でも名前が知られている。日記やら旅の記録やら文章を、モレスキンのノートに記していたのだ。モレスキンのヘビー・ユーザー、愛好家ということなのだろう。現在、モレスキンのノートを語るときに、チャトウィンの名前を出す人はとても多い。
フランスの小さな製本屋さんが始めたオリジナルのモレスキンは、チャトウィンが生きている1986年に倒産してしまったが、彼の没後の1998年に、元の会社とはなんの関係もないイタリアの会社がモレスキンのブランドを復刻して、現在では高級手帳、ノートとして、世界的に販売されている。今では日本でもどこの文房具屋に行っても売っている。A6の手帳が2000円くらい、というかなり高額な値段だ。
モレスキンも、ノマドなチャトウィンも、現在ではおしゃれなアイテムになっている。現在のチャトウィンは、モレスキンの広告塔のような存在だ。復刻版モレスキンは、私は偽物だと思う。こちらもまたすごく胡散臭いものを感じる。
4 小説『ウッツ男爵』と映画『マイセン幻影』
私がチャトウィンに興味を持ったきっかけが何だったのか、思い出そうとしているのだが、これがさっぱり思い出せない。最初のきっかけは、本だったかもしれない。
チャトウィンの本を最初に読んだのは、『ウッツ男爵』だ。これは池内紀が翻訳したから、買って読んだのだ。私は池内紀に凝っていた時期があって、池内当人の本や池内の翻訳した本を、短期間だが、集中的に集めて読んでいたことがある。その中に『ウッツ男爵』があった。
この小説は、マイセンという陶磁器の名品のコレクターの老人が、コレクションと共に死んでいくというハナシだ。日本人のオタク心をそそるには、本物嗜好が強すぎて、ガジェット感が足りないハナシだった記憶がある。
本は、『ウッツ男爵』を原作にした映画『マイセン幻影』と合わせた出版だったと思う。映画の公開も、文藝春秋から単行本が出たのも、1993年とあるから、私が読んだのもその頃だと思う。小説も、映画も、退屈であまり印象に残っていない。その際、ブルース・チャトウィンのことを、私が知っていたのか、意識していたのかどうか、やはり記憶にない。
5 チャトウィンの著作と伝記
チャトウィンの著作は『パタゴニア』『ソングライン』の旅行記風の小説、奴隷商人を主人公にした歴史小説の『ウィダーの福王』、ひきこもり風の双子の暮らしを描いた『黒が丘にて』、それに『ウッツ男爵』の5冊がある。
その他に、ポール・セルーとの対談本の『パタゴニアふたたび』と、短いエッセイを集めた『どうして僕はこんなところに』がある。
研究書の類は今のところなくて、ニコラス・シェイクスピアという人が書いた『ブルース・チャトウィン』というやたらと分厚い評伝のような本がある。ニコラス・シェイクスピアは、映画『歩いて見た世界』に登場している一人だ。この評伝は、日本語版は、2020年に出たのだが、金を返せと叫びたくなるくらい翻訳がひどかった、残念な本だった。
原著も、恐らくひどいと思う。キチンとした編年形式で書いておらず、資料性に乏しい内容で、しかも分厚いので無意味に文章量が多いのだ。資料として参考にしようと思っても、5WIHが不明な箇所が多すぎて、役に立たないのだ。非常に胡散臭い本だと言える。
よくこれで出版できたなと思うくらいだ。しかも、そんな本をよくも翻訳したなとあきれる。翻訳者はベテランで、有名な翻訳家の人だ。それなのに、1ページに、2か所から3か所、意味の特定できない文章がある。耄碌したのだと思う。しかし、私はひどいことを書いているなあ。
と、そんなことで、文句ばっかりだが、日本で出ているチャトウィンに関する本は、これで全部で、全部を私は所有している。しかし、どの本も、最初の50ページくらいまで読んで、つまらなくてやめている。最後まで読んだのは『ウッツ男爵』と伝記だけだ。
6 アボリジニの歌とソングライン
チャトウィンの著作の中で、とりわけ人気が高く、紀行文学の名作とされているのが『パタゴニア』と『ソングライン』だ。多くの旅人が、この2冊を片手に、パタゴニアを歩いたり、オーストラリアを旅している。そういう旅に出る欲求を引き出す本のようなのだ。
ところで私は、実は旅行が大嫌いな人間だったりする。歩くのは好きだが散歩をする程度で、昔も今も旅などする気がないし、旅行記を読んでもそれで満足して旅に出ようという気持ちは起きない。
実は私は、旅行記を読むのが大好きな人間なのだ。要するに本が好きなのだ。そういう人間だから、旅行記の面白いやつと聞いて、『パタゴニア』に辿り着いたのかもしれない。
しかし、旅行記として読むと『パタゴニア』は、フィクション性が強くて、駄目なのだ。藤原新也とか沢木耕太郎の旅行記のようには、読めないのだ。ビートニクスやゲーリー・スナイダーの本のようにも読めないのだ。
『ソングライン』などもっと駄目だ。小説なのだから受け入れればいいのだろうが、私には嘘くさくて、作品の中に入っていけないのだ。感情移入して読むことが出来ないのだ。面白さを感じられないのだ。楽しめないのだ。ファンの人にはごめんなさいだが、特に『ソングライン』は嘘くさいと思ってしまうのだ。
私は途中までしか読んでいないので、正確なことは言えないが、『ソングライン』はこんな本だ。オーストラリア全土に迷路のようにのびる目には見えない道がある。それがソングラインだ。ソングラインとは、その通り、歌の道だ。
作ったのは、オーストラリア原住民の アボリジニの人々だ。海を渡ってオーストラリア大陸に到達したアボリジニの人々は、移動しながら、土地で出会ったあらゆるものの名前を歌いながら、大陸を巡った。だからアボリジニの移動と、それに重なるように、歌の道が出来ている、というステキなハナシだ。
『ソングライン』という本は、オーストラリアを旅しながら、出会ったアボリジニにその歌を歌ってもらって、目に見えない道を、チャトウィンがひも解いていく、みたいな本なのだ。
アボリジニの移動というのが、数万年前から始まった人類の拡散の移動のことだ。何万年も前のハナシだ。だから『ソングライン』は、壮大な時間を扱ったハナシだ。
実際に、アボリジニには、歌が伝わっていて、そこには伝説と神話とか民族的な歴史が歌い込められている。そこで、その歌を歌うことで、『ソングライン』では、祖先が辿った道のりを同じように歩くことが出来るのだ、となっている。
ソングラインは、たくさんの部族がそれぞれ持っており、平面的にも立体的にも織りなしていて、オーストラリア大陸全土を網目のように覆っている、ということが『ソングライン』という本には書かれているようだった。
それが翻って、人間はなぜ旅をするのか、さすらい続けるのか、と言った問いになっている、らしい。
『ソングライン』は、そういう、ものすごくステキな小説なのだが、出だしから、断片的で、非常にぐちゃぐちゃごちゃごちゃした展開で、錯綜していて、やっぱり私は早い段階で挫折してしまった。断片のコラージュみたいなつくりなのだ。読み通せた人は、感動するらしいが、私は感動するよりずっと前に、なんか嘘くさいなと思ってやめてしまった。
アボリジニに伝承されている歌があるのは確かだと思うが、それが、ソングラインのような道になっているのかは、正直、よくわからない。チャトウィンが現地で、アボリジニの歌を収集して、それを研究した結果、ソングラインを発見したというわけではないらしい。もしそうなら、ノンフィクションとして、すごい発見になっていたと思う。
ソングラインは、現実には存在しないもののようだ。アボリジニに伝承されている歌には、神話や寓話的な内容よりも、場所について歌った曲が多いのだろうか、それすらも不明だ。すべては恣意的に作られていると感じてしまうのだ。それならもっときっかりフィクションとして描ききって欲しいと思うのだ。ソングラインというものがあれば、かっこいいではないか。しかし、チャトウィンの描き方は、中途半端で、どこか胡散臭く感じられるのだ。
こんな調子だから、私は、チャトウィンとは、絶対に相性が悪いのだと思う。
それでもチャトウィンが気になって仕方がないのは、その嘘くさいところにどうしてか魅かれているからだと思う。我ながらねじれている。本当に嫌な性分だと思う。こんなことを書いていると、チャトウィンの理解者の人たちからは、顰蹙をかうのだろうな、と思う。
7 栗本慎一郎と『ウィダーの福王』
チャトウィンのことを何で知ったのか、やっぱり思い出せない。きっかけは、栗本慎一郎だったろうか?
少し前に、栗本慎一郎という人がいた。全学連世代の人で、その後、学者になって、「朝まで生テレビ」でマスコミに出てきて、政治家になったという、かなり胡散臭い人だ。
マスコミに登場してきたころは、明治大学の先生で、「経済人類学」という学問を提唱していた。一般向けに、『パンツをはいたサル』などという本を書いて、1980年代に一世を風靡していた。「新人類」という流行語を作り出したのは栗本だという説もある。
その後、衆議院議員になって、小沢一郎と組んだり、自分は非自民なのに、小泉純一郎を総理にしようとしたが駄目で(栗本も小沢も小泉も慶応経済学部の同期仲間だった。)、小泉が実際に総理になる少し前に、栗本は脳梗塞になって政界を引退した。
その後、脳梗塞用の薬を開発したり、リハビリ器具を開発したり、東京農大の先生になったり、『流砂』という雑誌を出したりしていたが、数年前に全部のジャンルから引退をしている。
その栗本慎一郎が提唱していた「経済人類学」の用語に、「沈黙交易」というコトバがあって、その関連でアフリカのダホメ王国のことが出てきた。沈黙交易のことは、なんたらかんたら難しい文章が並んでいて、私にはちんぷんかんぷんだったが、ダホメには、別のインパクトがあった。
アフリカ人の王朝なのだが、戦闘好きで、周囲の国を攻めて、捕虜をひっとらえて、それを奴隷として白人の国に売り飛ばして、歴代の王は、富を肥やしていたのだ。ダホメは、現在、ベナンになっているのだと思うが、当時は奴隷貿易の拠点になっていた。
その奴隷売買にかかわって、王様の次の位まで君臨したブラジル人で白人の男がいた。その実在の人物をもとに小説にしたのが、チャトウィンの『ウイダーの副王』だ。
でもこの本は、20年以上前に、別の題名でめこん社かどこかから出ていた。ん、タイじゃないから、めこん社じゃないか…。ネットで調べてみたら『ウィダの総督』というタイトルで1989年の6月に 「めるくまーる」という出版社から出ていた。
この本は、翻訳がひどくて、ちょっと読めない本だった。私も、探して買ったものの、読めなくて、すぐに古書店に売り払った。だからちゃんと読んでいない。
その時は、ダホメの奴隷のハナシだというので、探したのだったが、どこでその情報を入手したのかは、記憶にない。栗本慎一郎関連の情報だったのかもしれない。もしかしたら、チャトウィンの本を私が読んだのは『ウッツ男爵』より、こっちが先だったかもしれない。
8 池澤夏樹とブルース・チャトウィン
でも私がチャトウィンをちゃんと意識するようになったのは、池澤夏樹の本を読んでからのような気もする。
池澤夏樹は、いろんなところでチャトウィンに言及しているし、個人編集した河出書房の世界文学全集で、チャトウィンの『パタゴニア』を取り上げている。私はそれらを読んで、チャトウィンに興味を持ったのだろうか?
世界文学全集の月報をまとめた『池澤夏樹の世界文学リミックス』が出たのは2011年の3月だから、それより前の2010年前後に個人編集の世界文学全集の『パタゴニア』が出ている。時期的には、ちょっと遅いかなと思うが、よくわからない。
ただ、池澤夏樹の文章を読んで、チャトウィンを、再認識した、ということもありうる。『ウッツ男爵』や『ウィダーの総督』の著者として、私の中で一つに繋がった、みたいな。
私の場合、基本が乱読なので、同じ著者の本を読んでいても、時期やジャンルが違っていると、名前が同じでも同一人物だと認識していないことが時々ある。何かの機会で同じ人だと知って、驚くのだ。
例えば、中条省平。映画評論やマンガ評論をしている中条省平と、『最後のロマン主義者――バルベー・ドールヴィイの小説宇宙』の著者の中条省平が同一人物だと知ったのは、ずいぶん最近になってからだ。
そんな調子なので、チャトウィンが一つに繋がったのは、池澤夏樹の文章がきっかけだった可能性は、とても高い。
私には、池澤夏樹もかなり胡散臭い人に見えるのだ。書くものは、ジャンルは純文学なのに、夢枕獏みたいに文体がスカスカだし、風貌はやけに芸術家っぽいし。
いろいろ書いてきたけれど、チャトウィンを知ったきっかけは、もっと下賤なことだったかもしれない。単に、エイズに絡んだハナシかもしれない。ブルース・チャトウィンに対しては、やっぱりエイズで死んだ有名人、っていう認識が強かった気がする。写真家のロバート・メイプルソープと同じ頃に亡くなった人、という認識だ。
多分、それが最初でそこから、さかのぼっていったのではなかった、という気もする。いろいろ考えてみたが、結局、思い出せない、よくわからないのだ。
9 ヴェルナー・ヘルツォークとクラウス・キンスキー
映画のハナシに戻ろう。
『歩いて見た世界』は、2019年制作のドキュメンタリー映画だ。監督・脚本はヴェルナー・ヘルツォークだ。ヴィム・ヴェンダースなんかと一緒に語られる、ドイツのいわゆるビッグ・ネームの監督だ。と言っても、私はヘルツォークの作品をほとんど観たことがない。
ずいぶん前に、『フィツカラルド』というのを観たことがあるだけだ。アマゾン川の上流の土地にオペラハウスを建てるために、どうーたらこーたら苦労をするハナシだった。一つの河から別の河まで、その間にある陸地に船を揚げて、山越えさせるという、なんかとんでもない展開のある映画で、妙な面白みがあったが、確か、途中、寝てしまったのを覚えている。
主役の男を演じていたのが、クラウス・キンスキーだ。当時の私の認識としては、ナスターシャ・キンスキーの父親だ。ヘルツォークは、クラウス・キンスキーを何度も起用した監督としても有名らしい。
クラウス・キンスキーは、晩年だが死後だかに、小児性愛者で、実の娘二人にも性的虐待を加えていたなんてことが伝えられて、死後の評価は駄々下がりの俳優だ。寺山修司の『上海異人娼館』にも出ていた。私は三面記事やスキャンダルが大好きな低俗な人間なので、そんな風にこのメンバーを記憶している。
何年かたってから、ヘルツォークが、登山家のラインホルト・メスナーに絡んだ映画を作ったと知り、観ようかなと思ったことがあるが、思っただけで観ていない。その程度しか、ヘルツォークのことは知らない。
10 映画『コブラ・ヴェルデ』と本人動画
『歩いて見た世界』を見るまで、全然知らなかったが、ヘルツォークの『コブラ・ヴェルデ』という1987年の映画は、チャトウィンの『ウィダーの福王』を原作しているという。チャトウィンは、脚本づくりにも参加いている。主演は、またしても、クラウス・キンスキーだ。
クラウス・キンスキーが、アフリカの奥地で、山賊から奴隷商人、果てはダホメのナンバー2にまで成り上がる主役を演じている。初公開は1987年の12月3日だ。
この映画の一部が、『歩いて見た世界』に使われている。その中で撮影現場に訪れたチャトウィンの姿があった。どう見ても病人そのものの、ほんの少しだけの本人映像だ。健康状態のせいか、胡散臭さのかけらもない必死の人間が映っていた。それが私にとって、『歩いて見た世界』の唯一最大の収穫かもしれない。
延々と、とりとめもなく書いてきたが、ここいらあたりで、やめようと思う。私は、ブルース・チャトウィンが胡散臭く感じられて、その胡散臭さが気になってしょうがなかったのだが、晩年の死を前にしたあの顔を見て、なんとなく反省したのだ。今更ながら、チャトウィンの遺した本を、ちゃんと読んでみようと思う。なんか罰当たりだな、私は……。