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H沼3キョーダイのこと

前回、作家の富岡多恵子のことを書きながら、バ●の塩●のことを思いだして、そのことを書いた。そうしたら、また別のことを思い出した。

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子供の頃、一軒挟んだ隣の家に、H沼3キョウーダイがいた。長女は私より数歳年上で、その下に次女がいて、一番下の弟は、私より一つ上だった。

次女は、いわゆる知恵遅れの子(この表現も今はアウトなのだろうか……)で、道端に落ちている誰かが吐き捨てたガムなどを拾って、よくクチャクチャやっていた。ところかまわずおしっこをする女の子で、道のど真ん中でパンツを下ろして、しゃがんでいたりした。そんなだから、よく虐められていた。

また、数人の男の子に囲まれて、パンツを下ろされて、足を広げて股を見せていることもあった。次女はそういうときでもニタニタ笑っていた。そんな場面を、弟が見つけると、突貫していって、ケンカになっていた。

私にとって、隣の次女は、バカで汚い存在だったから、小学生たちが次女の股を見たがる気持ちがわからなかったし、当時はまだ性的な意味も理解していなかった。

私は、この一つ年上の弟の子分みたいになって、いつも一緒に遊んでいた。

今、これを書きながら思い出したことがある。私は、隣の長女と「おいしゃさんごっこ」を何回かやったことがある。場所は隣の家の押し入れの中だ。
押し入れといっても、かなり変則的な作りだった。畳一畳分の縦長で、突き当りの壁はドアになっていて、内側から開けて外に出られるのだった。

そこに布団や座布団などが置かれていた。戸を閉めると真っ暗になるので、ほんの少し、開けていた。長女は、小学校高学年で、私はまだ幼稚園児だった。私はズボンや下着を下ろされ、お尻に注射をされるのだった。

注射器は、ガラス製で針もついていた。たぶん、昆虫標本用の注射器だ。液体の乾燥剤を、とった昆虫に注入するためのものだ。当時は、本物の注射器も子供の遊び道具の一つで、周囲にいくらでも転がっていた。

その注射器でお尻をチクリとやられるのだった。そのあと、はい、もんでおきましょうねと言われて、チクリとやった部分をもまれて、その後、オチンチンも触られた。性器は大きくなり、これは病気ですねえと言われ、私は泣き出しそうになって、いや、実際に泣き出した気もする。

ものすごく怖いのだけど、隣の長女に注射しますよと言われると、またしてものこのことついていくのだった。そういうことが数回あった。

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3キョーダイの住む家は平屋だった。玄関を開けると広い土間がありその奥に台所があった。家に上がると、畳の広い部屋が二つ続き、南側と西側にL字型に縁側があった。縁側の一番奥に、おいしゃさんごっこをした押入れがあった。

風呂はなく、トイレも、外にあった。敷地の隅に直径4、50センチの土管が縦に埋めてあって、そこが小便所だった。三面を板で囲まれていて、屋根があったが、吹きさらしだった。

大便所はその隣の掘っ建て小屋だった。中に入ると、大きな土管が縦に埋められていて、二本の板が渡してあった。その板に乗ってしゃがんでするのだった。板は固定していないし、人が乗るとたわんで揺れた。

トイレットペーパーなんてものはなく、隅に新聞紙を切って積んであった。
私は落ちるのが怖くて、一度も利用したことがなかった。もよおすと自分の家に帰っていた。

父親は今でいう工務店をやっていたのか、玄関の土間には大工道具がおいてあり、若い衆が何人か出入りしていた。手前の畳の間が居間で、奥には真ん中にベッドが置いてあったので、寝室として使われていたのだと思う。
そこに一家五人が暮らしていた。

日曜日に遊びに行くと、父親と母親がいつも全裸でベッドの中にいた。その母親は、時々いなくなった。家出先は、100メートルくらい離れた自転車屋だった。自転車屋の奥さんと仲が良かったのだ。

三番目と一緒に、そこに行ったことがある。母親が晩御飯のおかずを自転車屋で作っていて、それを子供が持って帰るのだ。

時には自転車屋よりも遠くに行って何日も帰ってこないことがあった。そんなときは、どこからか彼らのおばあちゃんがやってきて、ご飯を作っていた。そのおばあちゃんは、パンの耳を揚げたり、かき餅を揚げたりして、振る舞ってくれたので、近所の子供たちには人気があった。

ある時、遊びに行くと、全然知らない茶髪のおばちゃんがベッドの中にいた。三番目が、新しいおかあちゃんと、私に紹介してくれた。

一家は私が小学校低学年の頃に、橋を渡った川の向こう側に引っ越していった。その後、三人とは会うことも見かけることもなかった。

父親だけには、思わぬところで声をかけられた。道端とか街中の工事現場の前とかで、いつも作業着を着ていた。

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私が中学生の時のことだ。母親の買い物につき合って、街で唯一のデパートに行った。このデパートは、私が高校の3年の頃に移転して新店舗になっているが、その頃はまだ古い場所で古い建物だった。そこで、H沼3キョーダイの長女に遭ったのだった。

彼女は、小さな女の子を連れていた。そしておなかも大きかった。私の母と、何月に生まれるのかといった会話をし、母はその場で何かを買って、長女に与えていた。

私は何もしゃべらなかったと思う。帰りのバスの中で、母が、ああいう子は早いのよねえ、見ててごらん、すぐに離婚するから、父親があんなだからね、と言った。

母は、彼等一家の情報をいくつか知っているようだった。私は、長女が私よりも背が低かったことに驚いていた。

その後の彼等一家に関する記憶は、何も思い出せない。我が家で話題にならないこともなかったと思うが、何も記憶にないから、それっきりだ。

隣の家は、私が大学生の頃に、トイレと内風呂のある家に改築されて、倍くらいの大きさになって、今もそのままある。

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