家の近所にあった入ったことのない映画館の記憶
私が小さな子供の頃、家の近所に映画館が二つあった。
一つは幼稚園に行く途中にあったピンク映画専門館で、いつも裸の女の人のポスターが貼ってあった。小学生になった頃は、見てはいけないものがあると思って、足早に通り過ぎていた。
映画館としてはかなり小さな建物だった。中学に上がる頃には、もうなくなっていた気がする。そういう映画館だから、私は一度も入ったことがない。
父によると、昔からあった古い映画館で、父が入った昔は、土間にムシロ敷だったかもしれないと言うが、はっきりとは憶えていなかった。
建物の作りはどんなだったのか、中はどうだったのだろうか、座席数はどれくらいあったのだろうかとか、時々、思い出しては夢想している。
そこには、その後、地元の建設会社の高いビルが建ち、今はそのビルも空きビルになっているようだ。
もう一つは、橋を渡った先の商店街にあった。
その商店街には、私達兄弟が髪を切る床屋さんがあった。当時は、兄も私も、前髪を揃えて切る坊ちゃん刈りだった。母に連れられてそこの床屋に行き、母は兄と私を預けて、他の店で買い物をして、切り終わった頃に、迎えに来るのだった。
その床屋さんの少し先に映画館があった。
上半身裸で刺青をした人のポスターか看板の記憶があるので、ヤクザ映画をやっていたのだと思う。やっぱりたいして大きな建物ではなかった。私が小学生になる頃には、なくなっていたと思う。
そこの商店街の入り口には、交番と本屋さんが向いあってあり、少し入ると「もっきり屋」さんと呼ばれる酒屋があり、角内なのだろう、昼間から日本酒を飲んでいる人がいた。並びに八百屋があり、軒先の樽にぬか漬を売っていた。それを肴にお酒を飲んでいるのだった。
床屋のほかにもおもちゃ屋があった。私はそこでプラモデルを買ったり、夏休みの工作の材料を買ったりしていた。小学校6年の時に、モデルガンのワルサーPPKも買った。ジェームズ・ボンドが持っている拳銃だ。2200円だった。お年玉を何年か貯めたお金で買ったのだ。
わが家の近所のテキヤの親分の奥さんがやっているスナックがあったのも、そこの商店街だ。
そんな風に親しんでいた商店街だったが、交番も映画館も、国体が開催された1970年頃には、なくなっていた気がする。
今では、商店街そのものが、消滅している。
原因は、人口減少もあるだろうけど、1970年代になって、近所にスーパーマーケットが出来たことが大きい気がする。食品を扱う小売店は、どんどん閉店していった。
1990年代になると、橋が架け替えられて、人の流れも変わってしまった。それまで、橋と商店街は一直線に結ばれていたのだが、商店街の隣の、車の通る広い道路と繋がるようになってしまった。商店はますます閉店してゆき、現在はただの住宅地になっている。
今、調べたら、幼稚園に行く途中にあった映画館は、「封切作品を数週間から数年遅れで上映する二番館だったが、後に成人映画専門館となった。1972年6月に閉館した。」と地元の資料に出ていた。
1925年以前に開館して、1970年に閉館したとあったから、なんと50年近くも営業していたことになる。
橋を渡った先にあった映画館は、東映系の映画館で、1961年頃に開館し、 1968年頃に閉館したとあった。こちらは、8年くらいしか営業しなかったようだ。ちょうど東映ヤクザ映画の全盛期と重なるから、私が見たのは鶴田浩二とか高倉健のポスターだったのかもしれない。
二つとも、私が幼稚園か小学校低学年の頃になくなってしまった映画館だ。私が一人で映画館に行くようになったのは、小学6年生になってからなので、その頃まで存続していたとしても、ヤクザ映画や成人映画だから、見には行けなかったと思う。
このnoteで、色々書いていると、関連して、忘れていたことを思い出したり、知らなかったことをほじくり返したりして、自己満足だろうけど、とても面白い。