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1980年代前半の仙台と統一教会     「民青」vs「勝共連合」

1 引っ越した途端にやってきた統一教会

1980年、私は仙台で一人暮らしを始めた。最初の住まいは、下宿屋だった。下宿人が四人しかいないボロいところだったが、先輩下宿人からまずレクチャーを受けたのが、共同洗濯機の使い方などだった。それと一緒に変なことを言われた。

「原理協会には気を付けろ、誘われても絶対についていくな」ということだった。なんのことかまるでわからなかったが、その後、駅前で募金活動をしていたり、演説をしている私と同年配の人たちを見かけて、それが「統一原理」とか「原理研究会」とか「原理協会」とか言われている人たちだと知った。

映画上映会に誘われて、無料だと思ってホイホイついていくと、彼らの仲間に引き入れられて、タコ部屋に入れられて、帰って来られなくなる、というハナシだった。キリスト教を装っているけれど、そういう恐怖の集団なのだと教えられた。

しばらく経って、私は下宿を引き払い、近所のアパートに引っ越をした。引っ越して三日もしないうちに、玄関をたたく音がした。新聞の勧誘か何かだと思ってドアを開けたら、二人組の男が立っていた。清潔そうな服装の、真面目そうな顔つきの人たちだった。

二人は、私の大学の先輩だと名乗ってた。学生証を見せたかもしれない。4月から一人暮らしを始めた人たちに、なにかと支援をしているサークルなのだと言った。生活のこまごまとしたことから、心の不安までなんでも相談に乗ってくれると言う。ついては、近くの施設で集まりがあるから来ませんかと誘ってきた。若干、食べ物も出ると言う。カレーライスとかお菓子とかだ。

私は、これは統一原理だと思って、こんなに早く来るのかとビビった。初めての直接対面だった。とりあえず、最初は丁寧に断っていた。しかし、なかなか帰ってくれない。うかつにも一人暮らしは初めてだとか、言わなくてもよいことをしゃべってしまった。

興味がないし、他にやることがあるからとか言っても、奴らは笑顔で居座って、集会に行きましょうよと、しつこく誘ってくる。私が何を言って断っても、笑顔で切り返してくる。

30分くらい押し問答をした気がするが、10分だったかもしれない。5分だったかもしれない。一人がしゃべって、もう一人は、アパートの中を覗いているような感じだった。

気が付いたら一人は玄関の中に入っていて、私は台所の中ほどに後退していた。動転してしまった私は、「お前ら、原理だろ! 帰れよ」と大きな声を出した。それが良かったらしい。奴らはやっといなくなってくれた。

カギを閉めて、玄関にうずくまった。どっと疲労が押し寄せてきた。腹も立って情けなかった。同時に恐怖のような気持ち悪さもあった。これが統一原理か、なんとか押し返したぞ、という気持ちもあった。

二人ともGパンに、チェックの長袖シャツ姿で、裾をGパンの中に入れていた。でっかいバックルの幅の広いベルトをしていた。しゃべっていた奴は、中肉中背でほっぺの厚い顔をしていて、黒縁の眼鏡をかけていた。もう一人の男は、痩せ気味で色白で四角い細長い顔で、銀縁の眼鏡をかけていた。次にどこかで見かけたときのために、忘れないようにしようと、二人の顔を頭の中で何度も思い出していた。

2 二度目は男女のコンビでやってきた統一教会


一週間もしないうちに、彼らはまたやってきた。一人は、先日、来た男だった。あまりしゃべらず、後ろから部屋の中を覗いていた痩せだった。前回、しゃべっていた奴と選手交代したのだろうか、もう一人は、女だった。

ショートカットで派手さの全くない真面目そうな女の子だった。コットンシャツに茶色だか紺のスカートで、白い靴下をはいていた。地味過ぎだった。何でだろう、今でも彼らの顔を思い出す。似顔絵を描けと言われれば描けそうだ。

女はトンボ眼鏡のようなレンズの直径の大きな眼鏡をかけていて、しゃべると出っ歯だった。具体的にどんな問答をしたのかは、思い出せないが、私が何を言っても女は切り返してきて、私を押し込めようとした。そして映画会に行こうと誘ってきた。

前回、脈があると思われたのだろうか? 私は、奴らにまた来られたこともショックだったし、家を覚えられていることが嫌で、ほとんどパニック状態だった。

映画は、メインは、007で、その他に何本か上映すると言う。前回と同じような展開になって、やっぱり私は怒鳴って追い返そうとしたが、その時もなかなか帰らなかった。

私が興奮するのと反比例して、出っ歯の女は、にこにこするのだった。その後ろで眼鏡の色白痩せもへらへらと笑っている。そうこうしているうちに、アパートの2階の住人が出てきて、私のがわに立って、一緒に彼らを追い返してくれた。

夜だし、うるさいし、迷惑だし、警察を呼ぶぞ、みたいなことを言ってくれたのだったと思う。統一教会との直接対応の2回目は、こうして終わった。

その後、2階の住人と友達になったかというと、そんなことはまったくなかった。彼は松山千春の大ファンで、夜中に数人で集まってギターを弾いて松山千春の曲を歌ったり、「ちー様」がどーしたこーしたと語り合ったり、松山千春のレコードを大音量でかけたりしたので、私は殺してやろうかと思ったのだった。

3 一人暮らしの学生を狙い撃ちして洗脳する統一教会


当時の仙台では、統一教会の若い信者が、一人暮らしを始めた部屋を戸別訪問して、勧誘をして回っていたらしかった。新聞の勧誘でもないだろうが、どこのアパートで住人が入れ替わったのか、新しく入居した部屋はどこなのかを、しっかり把握していたと思われる。

アパートで一人暮らしをしている連中に訊いてみたら、統一教会に戸別訪問されてない人の方が少なかった。中には、のこのこついていった奴もいた。集会所と称するところに行って、最初は、雑談だったのだが、そのうち、数人に囲まれて詰問されるようになって、反省を強いられるのだそうだ。洗脳の最初の段階なのだろう。

友人の何人かは、ほとんど喧嘩状態になって、この段階で逃げていた。逃げられる人は逃げてくる。でも、大声を出したり、喧嘩腰になれない人は、なかなか逃げられない。二人で行って、一人が逃げ出して、残った一人をサークルの先輩などで助けにいくケースもあった。

私も一度、後輩を奪還しに行く数人に加わったことがある。サークルの後輩が二人で映画上映会に参加して、一人はハナシが違うと言ってとっとと帰ってきて、もう一人が戻って来ないということで、みんなで奪還に行ったのだ。

奪還と言っても、玄関でやり取りをするだけだった。統一教会の合宿所のようなところに押しかけていって、〇〇〇〇がいるだろう、出してくれと言う。向こうはそんな人は来ていないと言うが、こちらは粘る。

中にいる奴に聞こえるように大声で名前を呼びかける。中にいる奴は帰りたがっているから、声を聴かせることが大事なのだ。奥から出てきたら、即、連れて帰る、というだけのことだが、結構、緊張した。

きっと今なら、証拠を残すために、やり取りを録音したり、写メを撮りまくるのだろうが、当時はそのような技術も、意識もまだなかった。

逃げ切れず、そのままつかまっちゃった奴もした。駅前で募金活動をしているとことを知り合いに発見されて、それで連れ返されて、もとに戻った、という奴もいた。あるいは、いつの間にかアパートを引き払って、統一教会信者と一緒に共同生活を始めた女の子もいた。そういう人はその後、どうなったのか、わからない。

この話は、自宅通学の人には通じなかった。狙われるのは、一人暮らしの学生だったから、家から通っている人は、被害にあっていないし、統一教会のこともほとんど知らないのだった。

4 「民青」vs「原理研究会」=「勝共連合」


私の通っていた大学には、「原理研究会」というサークルがあった。名目上は、統一教会が提唱している理論を、研究したり勉強したりするサークルだったが、活動のメインは、「民青」つぶしだった。

一応、学生のやっているサークルだったが、実体は「勝共連合」だった。だから学生運動っぽくもあった。これは、その当時、どこの大学にもあったと思う。

1980年代前半、学生運動はもうとっくに下火になっていたが、共産党の下部組織である民主青年同盟、略して「民青」は、当時でもまだ縦看なんかを書いて、大学の中で集会なんかをやっていた。それに対応するために、「勝共連合」というものが全国的に組織されていた。

調べたら、「勝共連合」には笹川良一が絡んでいた。その関係で、日本船舶振興会などがお金を出しているという噂があった。「原理研究会」では、コンパも豪華だという噂があった。

みんな伝聞で噂の類だったが、メンバーに、体育会系の体格の大きな学生が多かったのは、見た目でわかった。彼らが統一教会の信者なのかどうかはいまいちわからなかったが、腕っぷしがいいこと、腕っぷしを行使することが、彼らの役割であることは、はっきりとわかった。

「民青」が集会をやっていると、そこに原理研の面々が出向いていって、解散しろとかなんとか、小競り合いをやっていた。原理研というよりは、勝共連合と言った方がいいのかもしれない。両者の違いが私にはよくわからなかった。もちろん、直接聞いて確かめたこともなかった。

私は原理研と民青の小競り合いを横目で眺めていた。どっちも気持ち悪かった。「原理研」も「民青」も大学の中に、フツーにあるのが、気持ち悪かったのだ。

5 大学公認?の左翼つぶしのサークル

原理研の面々の後ろには、背広を着た学生課の職員がいたりもした。大学の隅で縦看を背景に何かアジっている民青の集団がいて、そこに蹴散らかしてやろうと、原理研のメンバーが突進していって、その背中を後押ししているように離れたところから学生課の職員が眺めている、という景色が、記憶としてある。

この景色は、去年、日大の田中英寿理事長の事件報道を見ていて、思い出したのだった。大学相撲の選手だった田中英寿は、自身が日大生の時、体育会系の学生として、左翼学生つぶしに駆り出されていた。そしてそのまま日大に就職して、理事長にまで上りつめた人だった。

私が大学生をやっていた時期は、田中英寿より15年くらい後のことだが、左翼学生つぶしのための、そういうシステムが、それぞれの大学には出来上がっていたのだと思う。

当時私は、自分が所属していたサークルの活動で、教室やスペースを借りる交渉をするために、学生課によく出入りしていた。見知った職員が何人かいた。その職員たちが、原理研の学生と親し気に会話している場面を何度か目撃している。へえ、公認なんだと驚いたのだった。

一方で、大学では先生方を中心に反統一教会の動きもちゃんと始まっていた。仙台では統一教会のことが社会問題になっていて、本屋に行くと、反統一教会、反カルトの急先鋒だったキリスト教学の先生の浅見定雄のかかわったチラシなどがあって、それを読むと、統一教会の教義のでたらめぶりもわかったし、対応の仕方などが書いてあって、自衛にとても役に立った。

6 新興宗教大流行の仙台


日本の他の地域ではどうだったのかは知らないが、その頃の仙台では、新興宗教が、変な表現だが、花盛りだった。道路を歩いていると、二人組の女の子がやってきて、「あなたの健康について拝ませてください。拝むと健康になって幸せになれるのです。これは科学的に実証されていることなのです」なんて言わることが頻繁にあった。

彼女たちは「神慈秀明会」という新興宗教の人たちだった。専従なのかにわか信者なのかは不明だったが、結構な人数が街中にいて、私は何度も拝まれそうになった。多分、新人の度胸試しのようなものとして、路上勧誘があったのだと思う。

「神慈秀明会」は「世界救世教」から分派して出来た宗教団体の信者だ。「世界救世教」は、もともとは「大本教」から分派して出来た教団だ。

私の友人の一人は、近づいてきた神慈秀明会の女の子を、巧みに自分の部屋に連れ込んで、二日間くらい一緒に過ごしてしまい、あとから信者に乗り込んでこられて、すごいことになったりしていた。

そういうスケベ心と宗教がぐちゃぐちゃになった、わけのわからない出来事が、よく起きていたので、私はいろいろと調べたり、本を買ったりして、新興宗教に、ちょっとだけ詳しくなった。

仙台の街中や住宅地を見ると、いたるところに、様々な宗教団体の施設があって、世の中が気持ち悪く見えてきた。「創価学会」や「立正佼成会」、「天理教」はもう街中に馴染んでいたし、手かざしをする「真光」系だっていくつもあるし、独自編集した聖書の冊子を持って戸別訪問してくる「エホバの証人」もあった。探してみると、実にたくさんの宗教団体があった。

今に至る私の宗教嫌いは、その頃に培われたのだと思う。私は、カルトや新興宗教に限らず、仏教もキリスト教も、イスラム教も、とにかく宗教は大嫌いだ。

7 韓国に償え! 膨大な額の金集めを強要する統一教会

それらの新興宗教の中でももっとも質が悪かったのが、統一教会だった。一人暮らしの大学生が、アパートからいつの間にかいなくなっていて、田舎の家族が探したところ、統一教会の合宿所で共同生活をしているところを発見される、なんていうことがよくあった。

彼らは共同生活をして何をするのかというと、経済活動だった。バイトや就職をして、給料の大半を上納しているのだ。要するに巻き上げられるのだ。

当時はまだ霊感商法はメインになっていなくて、偽の募金活動と北海の珍味売り、ハンカチ売りが主流だったと思う。前者は、いろんなことにかこつけて街頭募金をやって、集まったお金の5%程度は実際に募金に回して、残りを統一教会に上納するパターンだ。

後者は、飲食店や一般の家庭を訪問して、チーズ鱈やホタテの燻製といった北海の珍味なるものを市場価格の何倍もの値段で売りつけるというものだった。この他にハンカチの訪問販売なんかもあった。

印鑑やら多宝塔といった霊感商法がメインになっていく少し前のことだ。いや、その頃もやっていたのかもしれないが、私は目にしたことはなかった。

とにかく日本人からお金を巻き上げて、韓国に送金するのが正しい信徒の行いとされた。日本は戦争中に韓国にひどいことをしたら、その償いだなんて理屈があって、それがキリストの名のもとに語られるのだ。普通に考えたらおかしいと思うはずだが、洗脳された人は鵜呑みにするのだった。

日本の信者は知らされていなかったが、韓国では教祖の文鮮明は、宗教もやっているけど、実業家として通っていた。韓国人に富をもたらし、韓国の農村などに、花嫁を供給するありがたいことをしてくれる人と、認識されていた。合同結婚式などで韓国に渡る日本人花嫁は、従順で忍耐強く、なにより働き者だと重宝されていた。

合同結婚式で、日本から韓国にお嫁に周旋される女性は、統一教会の信者だったが、相手の韓国人男性は、信者でもなんでもないことが多い。人権上、問題があるんじゃないかと思うが、何十年も放置されている。

8 麦コーラ「メッコール」の自動販売機が目印


統一教会の関連施設は、一目でわかった。建物の前に独特の自動販売機が置いてあるからだ。中に入っているのは、韓国産のジュースばかりだった。

メインの缶ジュースは、「メッコール」という麦コーラだ。麦茶に甘味と炭酸を加えたような飲み物だ。韓国は、お茶も、緑茶ではなく麦茶がメインだから、コーラも麦コーラなのだろうが、おいしいとはいいがたい味の飲み物だった。そのほかに、朝鮮ニンジン入りの炭酸飲料の缶があったと思う。

メッコールは、「一和」という、旧統一教会傘下の会社が出している炭酸飲料だ。だからメッコールの入った自動販売機が置いてあれば、そこの建物は、「一和」の事務所か統一教会関連の建物と断定してよかった。

2020年代の今、街中でメッコールの入った自動販売機はどこにも見当たらないが、さっきネットで検索してみたら、アマゾンでちゃんと売っていた。それも結構な値段だ。

私は、仙台ではもう一回、引っ越しをしている。同じ大家の別の建物へ移動したのだ。その時も、引っ越しして何日目かに、統一原理はやってきた。私は応対するのがめんどくさかったので、流し台の上にあった包丁を片手に持って、フリフリしながら、統一原理は大嫌いなんだよなあ、と言っていたら、すぐに帰っていった。

その時、来た人たちの顔は覚えていない。

1980年代前半の仙台はそんな感じだった。40年も経っているのに、統一教会がまだそのままあることに、愕然とするばかりだ。

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