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1990年代前半の東京都北区と統一教会

1  スーツ姿で銭湯に来る人達


1990年、私は東京の北区に住んでいた。その頃は、なぜか焼き鳥屋で働いていて、店の中二階に住んでいた。部屋に風呂はなく、営業時間の前か後に、毎日、銭湯に通っていた。その銭湯の閉店間際に、いつも集団で来る男女がいた。

年齢は20代から30代だろうか、若い人たちだった。男たちは、タオルとシャンプーなどを入れた洗面器を持って、しかし、スーツ姿でネクタイをしていた。女の人も地味ながらビジネススーツに近い服装で、彼らはどう見てみても銭湯に来るような服装ではなかった。非常に礼儀正しく真面目そうに見えた。

8人くらいの集団が全部で3つほどあり、曜日によって銭湯に来るグループが異なっていた。その3つは、顔ぶれは違ったけれど、どう見ても同じ集団だった。揃ってやってきて、入浴し、先に終えた人が外で待って、全員が揃ってから、どこかに帰っていった。徹底的な集団行動をしていた。

ある時、脱衣所で彼らの中の男二人の会話を聞いた。たまたま私がトイレに入っていて、二人は、誰もいないと思って、うっかり内輪の会話をしたらしかった。一人が先輩で一人が後輩のようだった。

2 昼食はパン2枚。1斤で4日持たせる


具体的なコトバは覚えていないが、次のような内容だった。

後輩「昼食代、1日100円だときついです。腹が減ってしんどいです」
先輩「わたしは、食パンにしている。1日に2枚食べると、1斤で4日持つ。100円でもお金が余る。工夫次第でどうにもできるんだよ」
後輩「さすが先輩、わたしも明日から食パンにします」
といったような内容だった。

私がトイレから出ると、二人はしまったという顔をしたが、私は素知らぬ顔をつくろって、服を着て、さっさと銭湯を出た。

彼らは統一教会の人たちだった。銭湯の近所に3階建てのビルがあり、そこに集団で生活していた。1階はガラス張りで、かつては何かの事務所だったようだが、普段は内側からカーテンで遮られて内部は見えないようになっていた。

時々、ライトバンが横づけられて、段ボールの積み下ろしをしていることがあった。銭湯で顔を合わせるスーツの人たちが、箱の積み下ろしをしていた。カーテンの奥には、段ボールが積まれ、その奥に布団が見えた。

そのビルの前には、メッコールの入った自動販売機が設置されていて、ビルの看板は、真っ白で何も書いていなかったが、その頃持っていた有田芳生の反霊感商法の本の巻末リストを見たら、統一教会傘下の企業である「一和」とか「高麗人参」関係の会社の住所が、そのビルと一致したのだった。

3 乗っ取った?ビルで20人以上が共同生活


その建物では、20人以上の男女が合宿生活をしているようだった。多分、メッコールとか朝鮮人参を扱う仕事と、いわゆる経済活動をしていたのだと思う。

実は、そのビルの前に、メッコールの自動販売機があったので、最初に建物に気が付いたのだった。しかし、そこに集団が起居しているのに気が付くのは、ずいぶん経ってからだった。彼らは実にこっそりとひっそりと、静かに暮らしていた。

確かそのビルの2、3軒並びにビデオレンタルがあった。私はそこにビデオを返しに行ったときに、銭湯で見かけた人々が出入りするのを見たのではなかったか。

私ももの好きだから、彼が来る時間帯に、銭湯に行くようにしたことがあった。観察していると、少しパターンが見えてきた。

銭湯には、二十数名が3グループに分かれて、曜日ごとに、週に2回、通っていたようだった。朝晩は何を食べていたのか知らないが、昼食は1回100円以内に収めていたようだ。余ったお金は、自分のものにはしないで、上層部に収めるか献金したのだろうと思う。

時々、銭湯の帰りに、おにぎりとカップ麺を一個ずつ持っている女の人がいた。入浴をさっさと済ませて、みんなが出てくる前に、角のサンクスで買ってくるのだ。ビルに戻ってから夕食にするのだろう。彼らはみんな明るい顔して笑顔が多かった。

彼らの中の女の人たちが、時々、私の勤めていた焼き鳥屋にも、北海の珍味を売りに来た。直径30センチくらいの底の浅い籠に、するめとか、ホタテの貝柱の燻製とかが、並べてあった。しかし、商品の質が悪く、値段も高いので、買ったことはなかった。

統一教会のビルの並びで米屋をやっていて数年前に引退したじいさんが焼き鳥屋の常連だったので、そのビルについてハナシを聞いたことがあった。もともと何か商売をやっていた夫婦が、道路の歩道の拡張で得たお金で3階建ての貸しビルを作ったのだそうだ。

そうしたら、何かのきっかけで、最初にお母ちゃんが統一教会に入信して、その後旦那も入信して、気が付いたら乗っ取られてたとのことだった。それ以上詳しいハナシは教えてくれなかったが、元米屋のじいさんは、警察なんか役に立たねえんだよ、と怒っていた。

4 1つ40万円の壺と1本20万円の印鑑


その頃から、印鑑やら多宝塔やらの霊感商法が社会問題になってきた。玄関先まで売りに来られたけど、断ったという客が何人かいた。壺一つが、40万円とかだった。

場所柄か、焼き鳥屋の周辺には、学会員が多かった。焼き鳥屋の常連にも熱心な学会員が何人もいた。創価学会から、統一教会には気を付けるよう、お触れが出たりしもした。そんなビラを見せてもらった。

一人だけ、20万円を出して、印鑑を買ったおばさんがいた。母子家庭で、高校生の息子の家庭内暴力に悩んでいる人だった。その印鑑を持てば運気が向いてすべてがうまくいくと言われて、半信半疑だが、息子がいい子になってくれればと思って買ったという。

常連客の一人に篆刻を趣味にしている爺さんがいて、印鑑を見てもらったところ、台湾産のなんとかいう天然石を使ったもので、原価は1000円か2000円だと言う。

ショックを受けたおばさんは、金を返してもらいに行ったが、後の祭りだった。お金が戻るどころか、統一教会への入信をしつこく勧められて、怒り心頭で戻ってきた。

実は、そのおばさんは「真如苑」の信者だったので、統一教会をかわすことが出来たらしかった。「うちと違ってあそこは偽物なのよ、詐欺集団だわ」と怒っていた。

5 合同結婚式・霊感商法でワイドショーをにぎわした統一教会


それから、歌手の桜田淳子や体操の山崎浩子、バドミントンの徳田敦子らの合同結婚式がマスコミで話題になって、タレントの飯干景子の入信脱会、女優の音無美紀子の脱会などがあって、統一教会は一躍有名になった。

霊感商法というコトバが浸透し、世間の人たちも統一教会には気を付けるようになった。統一教会は宗教を隠れ蓑にした、実態は詐欺組織だと私は思っていたから、この調子で、統一教会の包囲網が続いていけば、解散とか根絶になるのかとな思ったが、そんな画期的な展開には至らず、芸能スキャンダルが消費されただけで終わってしまった。

その後、私は北区から武蔵野市に引っ越し、焼き鳥屋界隈はビザなしイラン人などの外国人で往来があふれるようになった。統一教会の合宿所がどうなったのかはわからない。

統一教会の追及が終わっていないのに、世の中にはオウム真理教が出てきて、統一教会を追及していたジャーナリストや学者、マスコミ関係者は、全員、反オウムのご用達になって、忙しそうになる。

オウム真理教事件が一段落したら、シャクティパットのライフスペース事件や白装束のパナウェーブ研究所といった小粒のカルトが話題になって、法の華三法行が詐欺で世の中を騒がせて、でもなんにも変わっていない。統一教会はそのままあるし、オウムも分裂したけど、今でも存続している。法の華も代表だった福永法源が出所後、再開している。

あれからもう30年も経ってしまったが、銭湯で会ったあの人たちはまだ統一教会をやっているのだろうか?

6 いまだに舐められっぱなしの日本


焼き鳥屋はとっくに廃業したし、銭湯は潰してマンションになっている。元米屋のじいさんは、2000年を迎える前に死んでしまったし、篆刻の爺さんも生きていたらとっくに100歳を過ぎている。

印鑑を20万円で買ったおばさんは、バカ息子がオレオレ詐欺をやってつかまったのを契機に、界隈からいなくなった。そのハナシを聞いたのも、もう、15年以上前のことだ。

はっきりしているのは、統一教会だけが、名前を変えたけれど、ほぼ無傷で存続しているということだ。日本は、現金の供給元として、いまだにいいようにやられているし、政治家も持ちつ持たれつと言うよりも、舐められっぱなしのように見える。


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