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配信ドラマ『百年の孤独』と私の稚拙な妄想




ネットフリックスの配信ドラマ『百年の孤独』を見ている。全体で2部構成で、それぞれが8話あるらしい。今回は、第1部の8話が配信されている。

私は6話まで見たところだが、なんだか戸惑っている。期待していたものと違うからなのだと思う。ところで私は何を期待していたのだろうか?

原作はガルシア・マルケスの小説だ。人間の内面など描かないで、細かなエピソードを圧縮して詰め込んだ類をみない作品、というのが小説『百年の孤独』に対する私の印象だ。

『百年の孤独』は、日本の私小説なんかによくある人の心理とか内面とかをまったく無視して、これでもかというくらい、あらすじにあらすじを重ねて、あらすじのインフレみたいなもので出来あがっていた。

時間も空間の広がりもニオイも音も、なにもかもが全部、圧縮されている。圧縮されているから、読んでいる時には、こちらの頭の中で、エピソードが解凍されて、リアルなスピードで展開する。

黙読している目が活字を追うスピードは、早送りをなぞっているのと変わらない猛スピードなのだが、解凍されたエピソードは、頭の中で等倍速で流れるから、異なった時間感覚を同時に体験できる不思議な小説だった。

それこそ本当に歴史が記述されていると感じられる文体だった。

というのが、この小説に対する私の印象だったのだが、それが本当かどうかはわからない。なにしろ、45年くらい前に一度読んだだけなのだ。

私が『百年の孤独』を読んだのは、十代の終わりだ。現在から大体、45年も前のことだ。当時は安倍公房とか寺山修司が猛プッシュしていたので、私も読んでみたのだ。

読んだ時は、ものすごく面白かったという記憶になっている。その時の印象が強烈で、今日までそれが続いているような調子だ。その後、私はこれまでに読んだベストの小説は何かと訊かれたときには、決まって『百年の孤独』をあげてきた。それくらい印象深い小説なのだが、なぜか1度しか読んだことがない。

それっきり読み返していないから、45年前の印象で、この文章を書いていることになる。そんなんで大丈夫かと思うが、そんなもんなのだ。


実はこれまでに何度か再読を試みている。が、そのたびに挫折している。新装版が出たり、今年のように文庫化されたときなどは、また購入して手元に置いている。

その都度、読もうと試みるのだが、10ページくらい読むと、そこから先を読むのが面倒になるのだ。何でだろうか? 二度目以降は、大して面白くないのだろうか?

その理由を考えるのは別の機会にして、今回はドラマの『百年の孤独』について考えてみる。私の書く文章は毎回そうだけど、無理やりだ。


『百年の孤独』が映像化されるというニュースを知った時、私はどうやって映像化するのだろうと、不思議に思った。

小説は書き言葉だから圧縮出来ているが、映像にするとしたら解凍状態で再現するしかない。そうなるとこの小説の持っていた面白みは、ほとんどなくなってしまうのではと思ったのだ。

ではどういう方法で映像化したらいいのか、勝手に映像化を妄想したみたが、私の稚拙な頭では、愚にもつかない前衛風映像しか思い浮かばなかった。

例えばそれはこんな映像だ。ワープ映像と具体的なエピソードを描くリアルな時間展開する映像が交互に繰り返されるという、バカバカしい前衛映像だ。

ワープ映像は、小説の地の文に相当する。配信ドラマでは、ナレーションの部分だ。ここの映像部分では、ゆっくりなんだけどワープするみたいに時間がどんどん流れているのだ。当然、人間が出てきても心理とか内面はまったくない。

ある瞬間に、ワープがとまって、通常の四次元の時間の映像に解凍される。ここでエピソードが展開される。画面は、ラテンアメリカ特有のウルトラバロックな色彩鮮やかな世界が瞬時に広がっていくのだ。

しかし、ここでも人物は描写しないのだ。原作がそうしているのだから、映像でも人間の心理とか内面は排除する。これが問題だった。具体的にどうすればいいのか、見当もつかない。私の百年の孤独映像化妄想は、いつもここで行き詰ってしまう。

解凍されたエピソードが終わったらまたワープ映像に戻る。

そもそもワープ映像だって、文字では書いているが、具体的なビジュアルイメージはない。私の妄想なんてそういう粗末なものだ。


ところで、ネットフリックスのドラマでは、登場人物達には顔があって、その顔には表情というものがあって、そこにはしっかり内面が表れているのだ。俳優がやっているのだから、当たり前にそうなっている。

人が演じている以上、内面を排除することは、出来ないらしい。

当たり前だけど、人間も風景も風物も、道具も、全部、具体的な映像としてそこにあるから、本で読んで私が勝手に想像していたものが、全部、固定化されている。曖昧だったものが、ピントが合っていると表現してもいい。

自分の頭の中にあった世界が、修正され書き換えられていくみたいな感じだ。映像化ってそういうことなのだろうけど、身勝手な読者としては、45年間勝手に抱いていた自由を奪われていく感じでもある。

私は結局、それで戸惑っているだけかもしれない。







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