音のない雨(4)
もう20年近くも前のこと。
精神科に入院したときの
精神疾患に対する理解を深める
勉強会でのことだ。
ストレスと脆弱性、みたいな、
ストレスに対して脆いから、
精神的な問題が起きるのだという理論を
学ばされた。
それを講じている人に聞いた。
「私は弱いから病んでいるのですか」
何て答えが返ってきたのかは思い出せない。
ストレスに対する適応力をつけましょう、
みたいな謎理論を学ぶように強制された。
まるで、
『私たち精神疾患の患者は
普通の人なら耐えられるストレスに
耐えられないのだ』
と言われている気分だった。
私の周囲の精神疾患の患者は皆、
異常な量のストレスに晒されていた。
なのにそれらを学ばされた。
極論、私は、
すべての精神疾患は
『何からのトラウマが要因になっている』
と考えている。
根拠はない。私の勝手な持論だ。
ただ、私が出会ってきた
精神疾患を抱えた人がそうだったからだ。
トラウマ由来の疾患ではない、
統合失調症の人も、
鬱の人も、
双極性障害の人も、
摂食障害の人も、
依存症の人も、
皆そうだったから。
そのトラウマ的出来事は
『脆弱性』ゆえに耐えられなかった
とはとても思えない。
脆いから、弱いから、
耐えられなくて病んでしまったなんて
『根性論』でしかない。
心の病なんて弱いやつがなるものだ
というのはデマだ。
私は確信している。
『私と同じストレスに晒されて、
病まない人間なんていない』
もっと言うなら、
『私と同じトラウマを経験した
その後を生き延びられない人もいる』
私はそう確信している。
私のトラウマを揶揄する輩は、
私のトラウマを寸分違わず経験したその後を、
恐らく生き延びられやしない。
私のトラウマを嘲る輩は、
私のトラウマを寸分違わず経験したその後に、
現在の私と同じ状態にすらいられやしない。
確信がある。
お前たちは、
私の人生を歩んでいたら
生きてなどいられない。
私のトラウマを嘲り、
私の発信する内容をあり得ないと決めつけ、
私の言動を馬鹿にし、
私のプロフを見てマウントを取る輩共は、
絶対に私の人生では
生き延びることなど不可能だ。
強がりとかじゃない。
絶対にお前らには無理だ。
それほどの現実を生き延びたことは、
誰に嘲笑されようとも揺るがない。
そんな感覚、分かる人は少ないだろう。
けれど私の大切な人たちは
分かってくれる人たちだと勝手に思ってる。
自分の代わりはいくらいる的な
モブキャラ人生を幸福だと
捉える人がいると思う。
とくに現代では増えたのではないだろうか。
贅沢はしない、名も無い、
ささやかな、他愛のない……。
それで十分だ、と。
サバイバーたちにとって、
それらを手に入れることが
如何に困難であるかを知らない人が、
悪意なんて微塵もなく
「自分は贅沢などしていない」
としてそれを見せびらかし
「お前も贅沢を言うな」
と言う。
例えば、
福祉に頼り切りの生活を。
例えば、
生活保護で暮らすこと。
障害年金を受給すること。
それらを、
『社会的利益』とまで呼ぶ精神科医がいる。
私はそんな医師を心底軽蔑する。
彼ら彼女らは、
確かに贅沢などしていない。
しかし、スタート地点が
遥か後方にあった人間が
それらを手に入れることができないでいる様を
『努力不足』だとか
『自己責任』だとか言い表されてしまうこと。
後方からスタートした側から見たら、
モブキャラの他愛ないアレコレすべてが、
《チート》を使っているくせに、
でしかない。
けれども、もう一度言う。
私と同じストレスに晒されて、
病まない人間なんていない。
私と同じトラウマを経験したその後を
生き延びられない人もいる。
これは絶対だ。絶対の確信がある。
二次加害のクソ野郎共に告ぐ。
私のトラウマを嘲り、
私の発信する内容をあり得ないと決めつけ、
私の言動を馬鹿にし、
私のプロフを見てマウントを取る輩共には、
絶対に絶対に、
私の人生では生き延びることなど不可能だ。
絶対に、だ。
それほどの現実を生き延びたことは、
誰に嘲笑されようとも揺るがない。
4月28日のTwitterより。
加筆修正して。