焼きマシュマロのために生きていた頃
生きる理由はマシュマロを焼いて食べるため
性被害を受けて、解離性遁走に陥り、警察に保護されて、その後、保護入院になり退院して、泣き暮れて過ごしていた頃。
生きてるの本当にやめようかと考えてた頃、わたしは焼きマシュマロのおいしさを知った。
あの頃、食事には味というものがまったくなかった。
味はあることは分かる。
たぶん、甘い。たぶん、辛い。たぶん、苦い。たぶん、しょっぱい。
でも「おいしい」という感覚や、感動のようなものはさっぱりなかった。
ただ、何かを咀嚼し飲み込む作業でしかない。
と言うより、加害時の、嫌なにおいや、感触を、口の中にものがあるということから、加害時に口に含んだものを再現されてしまうことに繋がって思いだされてしまう。
飲み込むときにも、喉の奥をねっとりと通って行くような、気持ちの悪い感触がする。
そういった感覚がよみがえる行為となってしまって、食事をすること自体がが苦痛でしかないことになっていた。
そのとき、ふと興味を持った焼きマシュマロ。
アウトドア特集などで、焚火で焼いたマシュマロ。
見ているだけで、なんだか甘い香りがしてくるような気がする。
見た目にも、なんだかかわいらしい。
想像の中では、おいしい気しかしない。
とろーり、あまーい、イメージしかない。
早速、マシュマロを買い、バーベキュー用の串も百均で一本購入して、自宅のコンロでやってみた。
じんわり焦げ目がついていく。
回してみたり、全面にいい感じの焦げ目を。
まだかな? もう少し? 甘い香りがキッチンに広がっていく。
少しふっくらとしたような、マシュマロに、愛おしさを感じてしまう……。
よし! いまだ!
火からおろす。
ふーっふーっと冷ます。
ぱくり。
……?
甘さが口の中に広がった。
熱さで火傷していた。もう少し冷ませばよかった。
でも……え……っと? もしかして、これは、おいしい…だったりする……?
おいしいの?
うそ、おいしいって感じてるの?
甘い香りにぴったりな、あまーい味、とろーりと舌の上でとろける。
おいしい! おいしいだ! これは、おいしいの感覚だ!
驚きのあまり泣いたしまった。
口の中にあるものに、不快な感覚がない。
生臭いにおいも、ぬめる感じも、ねっとりとした感触も、ない!
ただ、マシュマロを食べているって、それがおいしいと感じている、それだけがわたしの中に存在した。
焼きマシュマロを、いまわたしは食べていて、そして「おいしい」と感じている!
涙があふれた。
わたしは、生きているのではないか?
もしかして、生きていたりするんじゃないか?
当時のわたしに、焼きマシュマロがそれを感じさせてくれた。
唯一、そう感じられる、食べ物だった。
わたしはその日から、日に何度も焼きマシュマロを食べた。
焼きマシュマロを食べると、味が、甘みが、とろっとした感触が、現実というものをマシュマロがわたしに教えてくれる。
焼きマシュマロは、あまりにもわたしの現実だった。
焼きマシュマロを食べているとき、現実にいるのだと理解できた。
焼きマシュマロを食べるという行為で、わたしは現実に居るいうことを、まざまざと見ることも知ることもできた。
あの場所に、あの部屋には決してない、焼きマシュマロを食べている自分が、ここにいる。
あの頃のわたしは知りもしなかった、焼きマシュマロというもの。
時間が過ぎていること、わたしはあの部屋の外に出て、焼きマシュマロという新しいものを知って、そしてマシュマロを自分で焼いて食べているんだ。焼きマシュマロの、味や、香りや、とろける舌触りを感じていると、ここはあの場所ではないんだ!と思えた。
確信を持って、ここが現実だと感じていられた。
あれは、過去なのだと知ることができた。
希望の光に見えた。
希望はここにあるのでは?
甘くてとろけるこの「焼きマシュマロ」は希望の塊だ!
あの頃のわたしの生きる理由は、大袈裟でなく焼きマシュマロだった。
焼きマシュマロをじっくりと焼いて、立ち込める香りに、生きている!と知ることができた。
その味に、生きている!と。
口の中でとろける感触に、ああ、生きているんだ!って。
焼きマシュマロを食べるために、その香りを嗅ぎ、口の中で甘くとろける感触をしっかりと脳に刻む。
ときに熱さに舌を火傷して、そうしてでも焼きたてを食べる。
その香りを味を、舌触りを、熱を、脳内に強く刻み付ける。
ひとつにたっぷりと時間をかけて味わう。
本当に、そのためにだけに生きていた。
生きることの理由も意味も意義も、すべてが焼きマシュマロにあった。
焼きマシュマロに生きるている自分を見ることができた。
生きている自分の現在を知ることができた。
真剣に大真面目に、その瞬間のためだけに、焼きマシュマロを食べるためだけに生きていた。
当時のわたしにとって、そんな小さな感動が、生きることのすべてだった。
でも、わたしは、もう、しばらく焼きマシュマロを食べていない。
食べなくても生きていられるようになった、ということなのかもしれないし、生きているということを、そのことで感じたくないということなのかもしてない。
というか、むしろ食べ過ぎて太ることが気になってしまう(もともと拒食思考がある)からかもしれないし。
だからというか、実は、いまは焼きマシュマロを食べることが怖い。
当時のことを、焼きマシュマロだけが生きる希望だった頃を思い出してしまいそうだっていう不安もあるし、怖いって思う。
焼きマシュマロを見るだけで、あの頃のことを思いだしてしまう。
あの頃は希望の象徴だったのに、いまは苦しい時期の象徴になってしまったのだろうか?
でも、あの頃、食べることが苦痛でない、たったひとつのメニューだった「焼きマシュマロ」は、わたしの命の恩人のようなものなのだ。