『散歩する惑星』『愛おしき隣人』『さよなら、人類』は最大級のコント
すきな人はすきだろうし、嫌いな人は嫌いだろう。わたしは大好き。
そういう映画。
『散歩する惑星』『愛おしき隣人』『さよなら、人類』はロイ・アンダーソン監督による三部作。
三部作といえども話がつながっているわけではなく、しかしよく似た構成になっている。
本来ならここで簡単なあらすじを紹介したいのだが、これらの映画にはあらすじといえるあらすじがない。
ではどんな内容なのかというと、いろいろな人がでできて、その人たちはなんだか奇妙な人ばかりで、彼らがなんてことない日常を送っている、その日常もごくごくふつうのものなのだけれどどこか奇妙、そういう話。
オムニバス形式だが、ストーリーといえるストーリーはなく、ひとつの面白おかしい場面をいくつもいくつも張り合わせているかんじ。
しかしすべてが同じ波長をもっているため、一作品、そして三部作全体でひとつの映画として成り立っている。
なんといってもまず、映像がすき。
基本的に固定カメラで全体が映し出され、そのなかで人々が位置についている状態である。
映るものすべてが冷たい色味で統一されていて無機質。スウェーデンの監督ということもあってか、北欧の色彩である。
人々の顔も白っぽく着色されていて、どこかひと昔まえの演劇のよう。
そう、この映画を簡単に表すとすれば、劇のようなのだ。
すべてが計算しつくされている画面構成、そこで繰り広げられる奇妙な展開、無表情の登場人物たち、随所に散りばめられたブラックユーモア。
全部全部ふざけているのだ。これは最大級のコントである。
考えてみると、人生はコントではないだろうか?
自分の人生のなかにいるとなかなか気づけないが、はたから見れば人間なんて所詮おろかな生きものである。
おかしなことにこだわったり、ちいさなことに一喜一憂したり、奇妙な習慣があったり、情に流されたり、あやまちを犯したり、途方にくれたり…
なんておろかで、しかし愛おしい生きものなのだろう。
わたしたちもこの映画の登場人物と同じくらい滑稽だ。
距離があってこそ、なにかをよく観察し皮肉ることができると思う。
この映画にあるのはその冷ややかな距離感だ。
監督自身も人間なのに、ここまで距離をとって人間を描きだすことができるのは素晴らしいとしかいいようがない。むしろ恐いくらい。
その距離感からうまれるユーモアこそ、なにも面白くないのに面白いこの映画の魅了だといえるだろう。
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散歩する惑星(Sånger från andra våningen)
ロイ・アンダーソン
2000年/スウェーデン、フランス/カラー/98分
愛おしき隣人(Du levande)
ロイ・アンダーソン
2007年/スウェーデン、フランス、ドイツ、デンマーク、ノルウェー、日本/カラー/94分
さよなら、人類(En duva satt på en gren och funderade på tillvaron)
ロイ・アンダーソン
2014年/スウェーデン、ノルウェー、フランス、ドイツ/カラー/100分