一喜一憂しない。重度の新生児仮死でうまれた我が子の検査。
前を走るトラックの後扉に夕日が反射して、私たちの車の中が、雪あかりみたいに照らされた。
はこふぐ(0歳児)の精密検査のために、高速に乗って県庁所在地にある大きな病院に来ている。
はこふぐは生まれたとき、重度の新生児仮死の状態で生まれた。
分娩中の常位胎盤早期剥離が原因だった。
あらかじめ防ぐ手立てのなかった疾患とはいえ、命の危険にさらしてしまい、はこふぐには申し訳ないといまだに思う。
妊娠中にかかる疾患のなかでは、起こる確率は0.5%〜1%。予測はほぼ不可能。
そして、母体死亡率は15%。胎児にいたっては、、、言葉にするだけでも悲しいから書かないけど、運次第で母子ともに命の危険にさらされる。
それが、常位胎盤早期剥離。
はこふぐは元気です。
ただ、苦しく生まれてきてしまったので、生まれてから何度も何度もあらゆる検査を受けている。
「イヤな可能性は限りなくゼロに近くなるまでつぶしておきたい」という病院側の方針があるっぽいので、期間をあけて何度か検査を繰り返している。
私としてはありがたく思う。
大学病院や総合病院に行くことが、家族のお出かけみたいになったし、はこふぐもイヤではなさそう。
検査結果はその場でしばらく待てば出るものもあれば、次の週に結果を聞きに行く場合もある。
もともと、私の気質は喜怒哀楽が激しい。大喜びするし、たくさん泣くし、ぎゃーぎゃー怒る(40代で、この未成熟っぷりはマズイと自分でも思う....)
でも、はこふぐのいのちと健康のことになると、頭の芯がスッと冷めて冷静になる。
様々な検査をたくさんしてきたが、検査結果がどうであろうと、一喜一憂しなくなった。
はこふぐが生死をさまよいながら出生したことが影響していると思う。
「一喜」しても、この先どうなるかわからないのだから意味がない。
「一憂」に関しては、してる暇がない。とれる対策を調べたり、考えたりするほうが先決だ。それがはこふぐのためになる。
たまたま、今日は検査結果が良かった。
明日はわからない。
誰にとっても、明日のいのちや健康のことはわからない。
私も含めて、すべての人にとって一寸先はどうなるのかなんてわからない。
だから、一喜一憂は、今日も封印!!!
でも......
「子供のことで一喜一憂しない」を続けていて、気持ち的に無理がきたら、noteにそっと打ち明けようと思います。