はこふぐママ

40代。1歳児のママ。小説と絵本が好き。英語も好き。京都も好き。

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最近の記事

発熱から復活!体が軽いことのありがたみを痛感したよ。

コロナワクチン(3回目)を受けてきた。 その日は余裕で過ごせたが、アレは当然やってきた。 接種翌日の朝。はこふぐ(0歳児)がひとり遊びに集中し始めたので、「今だーー」とカラスの行水よりも行水でシャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かしていたら...... おでこのあたりがボーーっとする。 足にも力が入らない。 もしや..... 頭痛こそないものの、このだるさは身におぼえがあるよ...... いやな予感。 しかし、現状を正確にわかっておきたいので、仕方なく体温計を脇

    • 【#9 小学生のころの日記】プール開きの日なのに水温が低くて泳げなかったよ

      1992年6月9日(火)くもり 今日は待ちに待ったプール開き。 水泳カードにも「ちゃんと泳げます」と書いたし、水着もわすれずに持ってきた。 だけど、太陽がなかなか顔を出さなくて、水温はいぜんとして19度のまま。 19度といえば大人でも1分間つかっていればいいほうで、水温19度はすごく低い温度だとタカタ先生が言っていた。 プール開きは、式みたいな感じ。 プールの4すみからお酒を入れて、塩をまいて・・・。プール開きで、こんなに大げさにしたのに、とにかく今日は全然泳げな

      • 一喜一憂しない。重度の新生児仮死でうまれた我が子の検査。

        前を走るトラックの後扉に夕日が反射して、私たちの車の中が、雪あかりみたいに照らされた。 はこふぐ(0歳児)の精密検査のために、高速に乗って県庁所在地にある大きな病院に来ている。 はこふぐは生まれたとき、重度の新生児仮死の状態で生まれた。 分娩中の常位胎盤早期剥離が原因だった。 あらかじめ防ぐ手立てのなかった疾患とはいえ、命の危険にさらしてしまい、はこふぐには申し訳ないといまだに思う。 妊娠中にかかる疾患のなかでは、起こる確率は0.5%〜1%。予測はほぼ不可能。 そ

        • 眉間にギュッとシワを寄せ、双子をつれたパパさんを見かけた。

          はこふぐ(0歳児)と近所のドラッグストアで買い物をしていたときのこと。 レジに向かって進んでいたら、4〜5歳くらいの双子の女の子を連れたお父さんとすれ違った。 双子ちゃんのうち、ひとりはお父さんに抱っこしてもらい、もうひとりはカートに付属している椅子にスポッとおさまっている。 パパさんは、たぶん200メートルくらい先からでもわかりそうなくらい、イライラした空気を発散していた。 眉間にはギュッとシワが寄り、ため息も聞こえてきそうなくらいのうんざりした表情。 「わかるわ

          【#8 小学生のころの日記】プール清そう

          1992年6月5日(金)はれ ずっと一日中楽しみにしていたプール清そう。いよいよ、5・6時間目がやってきた。 わくわくしながらプールへ向かった。 先生が、 「プールへ入れ〜!」 と言ったので、みんなはしゃぎ回ってプールへ入った。 水はほとんど入っていなくて、かわりにぬるっとしたものがあった。 つるんつるんすべるので、みんな、スケートのマネなんかしてあそんだ。 みっちゃんなんか、つるりん、とすべってしまったんだ。 いよいよ、そうじをする。 みんな、各自のかめ

          【#8 小学生のころの日記】プール清そう

          走り屋のスバル車をこわごわと運転していたあの時代。

          8年前に結婚して、それを機に車社会の地方都市に引っ越した。 公共交通機関がほぼないくらい田舎町なので、ペーパードライバーではいられなくなった。一日も早く、車道に出られるように練習を始めた。 冬の登山口の駐車場は、人っこ一人いないので練習するのにうってつけだった。 夫と一緒に登山口に通って、練習した。 まずは時速20kmで駐車場をぐるぐるまわる。 それに慣れたら、今度は時速40キロで走ってみる。 車庫入れも、ここで練習した。 当時、私は自分の車を持っていなかったの

          走り屋のスバル車をこわごわと運転していたあの時代。

          【#7 小学生のころの日記】7星てんとうむし

          1992年6月4日(木) くもり あ〜、今日も職員室そうじ。イヤだなぁ。 でも、ゴミすては楽しいんだ。つーちゃんと2人で行くんだ。 今日もいつものようにゴミすてに行ってきた。運動場のスタンドの近くに7星てんとうむしがいた。 つーちゃんが、つんつんとやってもうごかない。 「きっと、死んだマネよ。帰りがけに見てみよう」 と、つーちゃんが言った。 そして帰りがけ。7星てんとうむしはピクッとうごいた。あー、やっぱり生きていたんだー。 運動場だから、だれかにふまれるとま

          【#7 小学生のころの日記】7星てんとうむし

          【#6 小学生のころの日記】子ツバメ

          1992年6月2日(火) はれ 今日の昼そうじが始まるころ、スナオが小鳥を持ってきた。 「それ、なんていう小鳥?」 って聞くと、 「子ツバメ」 だって。 ツバメたちは、もうみんな南の国に帰っていったのに、子ツバメだけがとりのこされたわけだ。 みんながワイワイ言いながら、スナオのまわりに集まった。 「かわいいーー」 「つかまらせて、お願い」 とか、言いながら。 私も少しつかまらせてもらった。 少し、指がチクっとしたけど、かわいかった。 でも、なんだかド

          【#6 小学生のころの日記】子ツバメ

          今は亡き父と、NHK・井上二郎アナウンサーについてよく話した。

          テレビをつけたら、NHKの夕方6時の全国ニュースに、糸井アナウンサーではなく、井上二郎アナウンサーが出ていた。 あれっ?と思った。 井上アナウンサーの目つき、ますます優しくなっている。 20年前の井上アナウンサーは残念ながら、小さい子が泣き出してしまうほど、目つきが鋭かった。 町中の巨大スクリーンに映し出された井上アナウンサーを見たときは、ビクッとしてしまっていた。 でも、時を経るごとにどんどん目つきがやわらかくなっている気がする。 私がふるさとに帰省するたびに、

          今は亡き父と、NHK・井上二郎アナウンサーについてよく話した。

          子ヤギを飼いませんか?と職場でいわれた話

          8年くらい前に結婚して、田舎に引っ越した。 生まれ育ったのも都会、社会人になっても都会。ずっと都会で暮らしてきたから、親や友人たちは、私の初めての田舎暮らしをとても心配していた。 なじめるの? と。 でも、おかげさまで、周りに親切な人が多くて快適に生活できている。 田舎では、お互い助け合いながら生活しているので、人に助けられることを実感しながら生きていけるところが気に入っている。 コミュニティが小さいから、専門家にすぐにリーチできるのも助かる。 銀行や保険など、無

          子ヤギを飼いませんか?と職場でいわれた話

          【#5 小学生のころの日記】お母さんとかくれんぼ

          1992年5月26日(火) はれ 私がお風呂から上がってみると、お母さんが見あたらない。 洋間も、お母さんの部屋も電気が消えている。 変だな、と思ったけど「トコおばちゃんのところにでも行ったんだろう」と思ってあまり気にしなかった。 明日のくつ下を選んでいると、カーテンから「フフフッ」と笑いごえがした。 一しゅんギクっとしたが、すぐにお母さんとわかって「みーーつけた」と、さけんでしまった。 お母さんは最近、変わった。食事のメニューも変わった。 えいようバランス、え

          【#5 小学生のころの日記】お母さんとかくれんぼ

          「たまにはコンビニに行かにゃならんな」と思った話。

          夫とはこふぐ(0歳児)と私の3人で出かけた。 帰りは高速に乗った。 はこふぐがぐっすりと寝ているし、高速料金を節約しようと、ひとつ手前のインターで降りて、国道をのんびり走ることにした。 夫がセブンイレブンに寄るというので、ついでにホットコーヒーを飲むことにした。 少なくとも2年は飲んでいない、セブンイレブンのホットコーヒー。 ひさしぶりに飲んだコーヒーは、ものすごく深煎りに感じた。 「あちゃー、カフェラテにしときゃ良かったな」レベルのコクで、苦味も強かった。 そ

          「たまにはコンビニに行かにゃならんな」と思った話。

          【#4 小学生のころの日記】タンポポのわた毛をとばしたよ。

          1992年5月22日(金)はれ 学校の帰りがけ、サクラの並木を歩いていると、白いふわふわのものが飛んできた。 パッと手ですくってみると、たんぽぽのパラシュートだった。 よくよく見ると、100本はありそうな白いわた毛と、茶色いたね。この2つが合体してパラシュートになっている。 これからも元気に成長してね、という気持ちをこめて、そぉっと吹いた。 パラシュートはUFOみたいに私の目の前をジグザグに飛んでいった。 サクラ並木をすぎて信号を渡ったとき、静かな風がサーーっと吹

          【#4 小学生のころの日記】タンポポのわた毛をとばしたよ。

          子どもの質問に即答するママさん。フードコートで見かけた光景。

          今日ははこふぐ(0歳児)と一緒に少し遠くに離れたショッピングセンターで過ごした ちょっと懐かしい感じのする、古いショッピングセンター。 フードコートでリンガーハットの長崎皿うどんをバリバリと音をたてながら食べていたら、 「〜って何?」 を連発している4〜5歳くらいの男の子がいた。 ママさん:○○くんは、小学校のあとは、中学と高校、行きたければ大学にいけるよ 男の子:大学って何? という具合に。 私なら「うっ・・・・・」と答えに詰まってしまう質問だった。 大人

          子どもの質問に即答するママさん。フードコートで見かけた光景。

          【#3 小学生のころの日記】お化けが出てきそうな夜空

          1992年5月20日(水)はれ 夜、少し暑かったのでまどを開けた。サァーーッとすずしい風が吹いてきた。 元おねえちゃんの部屋から見上げる窓の外は何回見てもあきない。 空を見上げると、空は真っ黒だった。 なんだかお化けがでてきそう。 こんなにカラリと晴れているんなら、たくさんの星が出ていてもいいはずなのに、たったの1つしか出ていなかった。 はじめは、なんと飛行機にみえたのだ。だって、赤い光がついたり消えたりしていから。 そうがんきょうで見たら、星がまたたいているだ

          【#3 小学生のころの日記】お化けが出てきそうな夜空

          「迷惑だなんて1ミリも思いません」。妊娠中、女の人に助けられた話。

          ぶっちゃけ、女の人が苦手だった。集団になって群れている女の人は特に。苦手意識がさらに高まってしまっていた。 でも、妊娠して少し変わった。少しだけど。 妊娠中は女の人から助けられたことが多かった。 妊娠34週のとき、不正出血があった。しかも逆子の状態で、だ。 病院に電話をするとすぐに来るように言われ、そのまま自宅に帰ることなく8日間の入院となった。 このとき、すでに産休中に入っていたのだが、会社のことが心配で出社する日々をおくっていた。 わたしの部署には新人さん2人

          「迷惑だなんて1ミリも思いません」。妊娠中、女の人に助けられた話。