幼馴染の中華そば
去年のクリスマスのこと、彼が仕事で仙台に出張するという。
この時、何故か凄く仙台に行きたくなって、僕も一緒について行く事にした。
ところで、僕がこれまで何処で暮らしてきたかというと、大雑把に言えば、仙台で20年、札幌で20年、東京で10年という感じ。
なので、仙台は学校を卒業するまでに20年程も暮らして育った街ではあるんだけどね、でも、先に「仙台に行きたくなった」と書いた通り、「帰りたい」という感じでは無いんだよね。
まぁ、それには理由があって、仙台には近寄りたくも無くて、ずっと避けていたって事です。
就職してから2度しか行った事がないし、25年も行かなかった。
でも、その話は、また別の機会に…。
で、今回は、昔よく食べていたモノを可能な限り食べたいっていうのが一番の目的だった。
もう30年程も前になるので、普通に考えたらほぼ全ての店が無くなっていても全然おかしくはないんだけど、とにかく、幾つかの行ってみたいお店を思い出しておいた。
でも、これがね、ことごとくすかされちゃってですね…。
行く店、行く店、全部閉まってたんだよねぇ。
無くなっているっていうなら当然諦めも付くんだけど、今もあるのに、たまたま休みとか、今日だけ早仕舞いとかが多くて、非常に残念な事に食べられそうで食べられないという事ばっかりだった。
ホントついてない…。
でも、その中で、どうしても食べたい店が一軒だけあった。
それは幼馴染の実家がやってる中華そば屋。
僕の暮らした鉄砲町や二十人町の辺りは、これって空襲でもあったの?ってくらいの大変貌を遂げていて、この辺で暮らしていた40年前とは全く違う町になっていた。
仙石線が地下に潜っちゃって、どこが線路だったのかが全然分からないから、昔と今の変化を確認する基準も無いんだよね…。
すげーな。
マジで全然知らない未来に来たって感じだわ。
でも、エックス橋から榴ヶ岡公園までぶち抜かれるようにして出来た新しい大きな道路沿いには、よくよく見てみると、果物のいたがきもあるし、友達の中華そば屋も場所はなんだかよく分からない位置に移動していたけれど、とにかく見つける事が出来た。
Googleマップ、助かる。
そんな友達の中華そば屋に、初日のリベンジで二日目のアイドルタイムを目指してやって来た。
丁度お客さんが引いた直後だったのか、お店に入った時には、僕が一人目の客だった。
もうね、最後にここの中華そばを食べたのが小学生の頃なので、今ならどれを食べても一緒かなぁとは思ったんだけど、ここはあえて一番シンプルなヤツにしといた。
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中華そば
僕の子供の頃から比べると、ラーメンの進化って凄じいモノがあるよね。
極端な話、だいたい何処のラーメンを食べても美味いと思う。
それくらい劇的に美味しくなった。
でも、ここはね、今も変わらず、ずっと中華そば。
ラーメンじゃないって言えばそうなのかも知れないけれど、昔っぽいあっさりとした味だよなぁ。
だから、人によっては全然物足りないって思う人もいるかも知れない。
でもね
そう!コレコレ!
…って言いたい…
…けど、正直、全然おぼえてない…
友達のお父さんから引き継いだこの味だよ〜!
…とかも言いたい…
…けど、全然言えないw
マジで全然覚えてないわー。
けど、想像するに、きっとこの味なんだと思う。
懐かしいなぁ…
…と、全く新しい味覚体験なんだけど、フェイクで懐かしんだりはしといた、とりあえずw
アイドルタイムだからなのか、いつもそうなのかは分からないけれど、厨房にはどこか幼馴染のMちゃんの面影のある微妙に若い男性が一人で接客から調理、配膳までをこなしていた。
正直、ここに来た時、もしもMちゃん自身がお店にいたなら、気恥ずかしいし、自分を明かす事なく、黙って食べて黙って帰ろうと思っていた。
でも、今目の前にいるのは、Mちゃんに似たそこそこ若い男性。
それこそ、見た事も聞いた事も無いけれど、きっとMちゃんの息子さんなんだろうなと思った。
で、お客さんも少なかった事もあって、ラーメン食べながら、ちょっとだけのつもりで息子さんに話しかけてみた。
僕:ここはS井さんのお宅ですよね。お父さん(Mちゃんのこと)は、お元気ですか?
息子:あ、はい、もう店には出てませんけど、元気です。(Mちゃんのお父さんのこと)
僕:あー、そうですか、良かった。(貴方は)S井Mさんの息子さんですか?
息子:え?え?…あ、私です。
僕:???(は?どういうこと?)
謎の息子:私がS井Mです。えーと、どちら様ですか?
僕:…(え?本人ってMちゃん?ウソ!若いだろ!声かけて失敗したわ!)
Mちゃん本人:えーと、お名前はなんとおっしゃいますか?
僕:(もう名乗るしかないわ〜…)〇〇です。小学校、中学校と一緒だった…
Mちゃん本人:え?!△△!!
彼は、僕の本名を聞くと、間髪入れずに僕の小学校、中学校の時のあだ名で呼んでくれた。
なんかね、嬉しくて泣きそうになったよね。
その呼び方されたの40年ぶりだわ。
それから彼はとても歓迎してくれるように
「これまでどうしてたの?
今は仙台には居ないんでしょ?
元気にやってた?」
と矢継ぎ早に質問を終えると
「今でもYやKと一緒にサッカーやってるんだよ。
フットサルだけどさ〜。
覚えてる?YとK?
また一緒にサッカーやろうよ!」
と…
忘れる訳が無い。
八百屋の息子Yと、板金屋の息子K。
特に、Yなんて、それこそ僕が思う幼馴染の筆頭だよ。
本当に仲が良かった。
だけど、僕は中3になる時に引越しで転校したから、中2までの彼らしか知らない。
でも、それからも彼らはずっと仙台に居て、働いて、暮らして、いまだに仲良くして、サッカーを続けている。
こんなにおじさんになってもだよ。
信じられない。
…凄いなーと思った。
大学の時の友達で、今でも仙台に残っているヤツって、多分、一人も居ない。
なので、なんとなくみんな出て行くモンだろう、そういうモンだろうって思ってた。
でも、違ったんだね。
子供の頃からずっと仲が良くて、50歳を過ぎても遊んでいるなんて事があるんだって…
驚いた。
本当に良いなぁ、羨ましいなぁと思った。
それにね、「今は仙台に居ないんでしょ?」ってさっき言ったくせにさ、「また一緒にサッカーやろうよ!」っていうかね?
そんな嬉しいことを言って貰えるもんかね?
今何処に住んでいるのかも知らないし、40年近くも会っていなかったのに。
この時の気持ちって、嬉しいとかさ、感激とかさ、そんな一言だけではとても言い表せないよ…。
最初は間違って声をかけたようなもんだけどね、声をかけて良かったと心底思った。
そうこうしていると、僕が一人目の客で、誰も居ない店内だったのに、立て続けに、一人、二人、三人とお客さんが入ってきて、普通なら夕方の暇な時間帯にも関わらず、お店はほぼ満席になってしまった。
今でも愛されてて、人気のあるお店なんだなぁ。
僕らが小学生だった頃も、よくテレビで取り上げられていたもんな。
ズームイン朝なんて、何回出たのか分からないくらい、しょっちゅう出ていた。
そんなお店が今でも続いていて、そこの3代目の店主が僕の幼馴染で、区画整理で全く変わってしまい、何処に何があったのかも全然分からなくなってしまった見知らぬこの町で、本当に灯台のように僕を導いてくれた。
もしも、このお店が無かったら、Mちゃんが居なかったら、幼馴染を懐かしむ事も、今も続いている幼馴染同士の交流の様子も、僕は全く知らないでいただろうと思う。
というか、子供の頃、Mちゃんが作った中華そばを食べるなんて思いもしなかったなぁ。
何故なら、Mちゃんは次男だったはずだから。
5,6歳離れた兄貴がいたけど、何がどうなってそうなったのかは分からないけど、店を継いだのはMちゃんだったんだなぁ。
今日のこの時っていうのは、本当に色々な偶然が重なってたどり着いた今日なんだと思った。
お店も混んできたし、中華そばも食べ終えたし、名残惜しい気持ちは有るけど、「そろそろ帰るね。お会計をお願いします。おいしかったよ!」と言うと、「お代は要らないよ」という。
いや、僕は払いたいんだよね。
子供の頃の幼馴染が、ちゃんと3代目として店を受け継ぎ、50歳になるまで店を守り、アイドルタイムでも満席になる程、お客さんに愛されている。
そんな中華そばを食べられる日が来るとは思わなかったよ。
だからちゃんとお代は払いたい。
敬意を払い、心の底からのありがとうという気持ちで、ちゃんと支払いたかったんだよね。
会計が終わり出口に差し掛かると、「ちょっと待って!」と言って、店の裏口から厨房を出てきて玄関先に回って来てくれた。
「これ、ちゃんとしたアレじゃ無いんだけど、名刺。
良かったら連絡してよ。YもKも驚くと思うわ〜。」
そう言って一枚のカードを手渡してくれた。
でも、その時に、僕は連絡先を渡さなかったんだよね。
真っ当に生きてきた幼馴染には、自分のコレまでの事を話すことなんて、とても恥ずかしくて出来ないわ…。
そう思ったから。
それに、また、もしも考えが変わったなら、このカードの連絡先に連絡出来るし、というか、店に連絡すれば良いんだから。
そう思った。
でも、それから二ヶ月後、僕は膵臓癌だと診断された。
きっと、もう連絡する事は無いと思う。
連絡が無いけど、どうしてるんだろう?と、少しは思って貰えるだろうか。
でも、まさか死んじゃってるとは思わないよね。
連絡が無くても。40年ぶりにひょっこり現れたんだから、きっと何処かで元気にやっていると思ってくれたら嬉しいな。
幼馴染の記憶の中でもう少しの間生き続けられたら嬉しい。
今思えば、どうして急に仙台に帰ってみたくなったのか…。
なんか分かるし、仙台に帰って来て本当に良かったと思う。
僕は初めて、帰って来たって思った。