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13年ぶりのインドネシア訪問 【最終回】 印象的だったことトップ5

2024年のゴールデンウィークに娘たち(大学1年と高校2年)と3人でインドネシアに行ってきました。
バンドン工科大学に留学中の夫を訪ねるのが主目的ですがインドネシアは新婚時代の5年間暮らした思い出の土地で、長女が生まれた場所でもあるので、嬉しい再訪になります。

今回はそのレポートの最終回、「印象的だったことトップ5」を私感でまとめます。

2004年~2009年にジャカルタに在住し、その後2011年にジャカルタに遊びに行ったときと比べて印象的だったことのランキングになります。

​🚩5位 黒煙を上げて走るバスを見かけなかった

以前はモクモクの黒煙を上げて走るバスがいたのですが、それは無かったですね。きれいになったー。

🚩4位 制服を着たベビーシッターを見かけなかった

私がインドネシアに住んでいた頃、インドネシアのお金持ちの家では「こども1人につきベビーシッターを1人」雇うのが普通でした。たいてい住み込みで24時間こどもを任せます。

大切な子供を任せるのですから、ベビーシッターさんはスキルも人柄も備えたプロフェッショナル。ちゃんと資格を持った人はBaju Putih(白い服)と呼ばれる制服を着て、誇りをもって働いていました。

外出時にもベビーシッターを連れて行き、ショッピングモールやレストランではこどもの世話はシッターさんにお任せしているのが普通。なのでそういう場所には制服を着たベビーシッターさんがたくさんいました。

でも今回、ベビーシッターの制服を着た人を見かけなかったのです。たまたまなのか、制服が変わったから気付かなかったのか、それともベビーシッター文化がなくなってきたのか…?えー?どこに行ったんだろう??

ちなみに我が家にもベビーシッターがいましたよ。うちはこども二人にベビーシッターは1人というちょっとイレギュラースタイルでしたが、通いで来てもらっていました。次女が生まれてからは2歳と0歳を異国の地で育てていた私、夫はよく海外出張に出ていて不在だったこともあって、本当に本当に助けられました。この話はまた別途。

🚩3位 近代的になった!インドネシア語ができなくても旅行できそう

スカルノハッタ空港が近代的になっていて驚いた!のはすでに書きましたが、いろいろなものがシステマチックになっていました。

機械化・自動化が進んだこともあり、今回の旅行の範囲くらいならインドネシア語ができなくてもどうにかなるんじゃないかな、と思います。
以前は「インドネシア語ができないと何もできない」ということも多かったので、私も必死にインドネシア語を覚えたのですが、時代が変わりましたね。
(これもすでに書いたエピソードですが)バンドンでホテルからタクシーに乗った時、ロビーに忘れ物をしたら、タクシーに連絡が入ってすぐにUターンして取りに戻れた!そしてホテルでは忘れ物を持ったベルさんとコンシェルジュさんが待機していて車から降りなくてもちゃんと無事に手元に帰ってきた!という出来事もいろいろなロジスティックやモラルが改善された結果だと思うので、本当に感動しました。

写真は新幹線Wooshのチケット。こういうのもすごい。


新幹線Wooshのチケット

🚩2位 「こどもまんなか」は変わらなかった! 老若男女みんなこどもへの愛がすごいー!!!

インドネシア人はこどもが本当に大好きです。こどもがいるとみんなニコニコ寄ってきて可愛がるし、こどもが泣いていても誰も気にしない、というか泣かせないようにみんなで可愛がる。
日本みたいに「子持ち様」なんて絶対言われない。
これだけ近代的になっているにもかかわらず、この点は変わらなかったですねー。嬉しいな。

🚩1位 誰もお腹を壊さなかった!衛生面の改善すごい―!!!

日本にいる人だけでなく、先進国で生活している人には「それが?」と思うかもしれませんが、私としては本当に本当に本当に本当にビックリ😲ビックリ😲ビックリ😲ビックリ😲

我が家がインドネシアに住んでいた頃、友だちや親戚がたくさん遊びに来てくれましたが、ほぼ全員が滞在中か帰国後にお腹を壊していました。一流ホテルに泊まり、食事も出かける場所も相当気を付けていてもです。
それが!今回は!誰も!お腹を壊さなかったのです。

かき氷食べても大丈夫だった―。感動した―!!
写真は在ジャカルタの中国人の知人ファミリーと会食した時。このときのひんやりデザートも美味しかったしお腹を壊さなかったのはすごいこと!

素敵なインドネシア料理のお店で at Jakarta

というわけで、久しぶりのインドネシアは本当に楽しく、私にとっての大事な故郷なのは変わりなく、夢のような時間になりました。

駄文にお付き合いくださった皆さま、ありがとうございました!

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