楽しいから踊るのか、踊るから楽しいのか。
この夏、たまたまInstagramで流れてきた阿波踊りに、正確に言うと阿波踊りを踊る連の人々に夢中になった。今まで阿波踊りといえば、少しやんちゃでひょうきんなイメージしかなかったが、それは全くの誤解だった。
連と呼ばれるチームの中で、老若男女が、それぞれに与えられた役を、しなやかに、優雅に、それでいてダイナミックに、全員が息もぴったりに踊り続けている。
あまりにも美しくて、力強くて、ただその動きに目を奪われた。連の人々は踊る喜びに溢れていた。もし神々の舞いがあるとしたら、本当はこんな感じなのかもしれないと思った。こんな踊りができる徳島の人々を羨ましく思った。
お盆休みには、宮下奈都さんの小説を一気に読んだ。
その中に出てくる主人公の叔母さんがまた魅力的な人物だった。飾り気がなく、自由で、自分にとって大切なものをちゃんと大事にして生きている人だった。毎日とっぴょうしもないことをする彼女だが、たまに小躍りするシーンが出てくる。その場に何度か遭遇した主人公は、何か楽しいことでもあったのかと叔母さんに聞く。すると彼女は、楽しいから踊るんじゃない、踊れば自然と楽しくなるから苦手なことをする前に踊るのだと言う。なるほどと思った。
すっかり阿波踊りに夢中になっていたわたしは、これは早速真似してみようと、阿波踊りをそれとなく踊ってみると、確かに気分が良くなってくる。
まさに踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。踊らなければ損なのである。
気をよくしたわたしは家の中で、思いつけば阿波踊りを踊っているのだが、家族から見たら突然小躍りしているように見えることだろう。
枕元で飛び交う蚊ですら、しとめることができない運動神経の持ち主なのだ。それは仕方ない。
それでも今のわたしは、楽しいから踊るのか、踊るから楽しいのかわからないが、阿波踊りを踊っていると楽しい。家族以外にはとても見せられないが、こんな風に小躍りしながら、連の人達のようにしなやかに優雅に、今年の残暑を乗りきれたらと思う。
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