母というものは
先日、息子の友達が泊まりに来てくれた。
みんな礼儀正しくて、賢くて、
個性豊かで楽しい子ばかりだった。
普段は夫と二人なので、
家の中が一気ににぎやかになり
私たちも楽しい時間を過ごさせてもらった。
今までにも息子の友達が
泊まりに来てくれることがあったが
どの子もやはり礼儀正しく、賢く、
楽しい子ばかりだった。
こんないい子達が息子と友達でいてくれてありがとう、と思う。
そして束の間だが
息子の友達も
息子や娘のような心持ちになってきて
お腹はすいていないか、
暑くはないか、寒くはないか、
遠慮していないか、
よく眠れたか、など
母の心境となって
いろいろ世話を焼くこととなる。
さて、最近読んだ小川洋子さんのエッセイの中で『ハンカチは持ったかい』という話に深く感銘を受けた。
母とは子を思い、心配し続ける生き物だという内容なのだが、
その中で語られる、生まれたての幼子への母の心配は尽きないというくだりに、私は涙し、そうだそうだと深く共感し、安堵したばかりであった。
私が子供達を心配するのは、母という生き物の習性だということが明らかになったからだ。
「ただ心配するだけならば、どうか子供たちよ、親を許してやってほしい。実際にハンカチを持って、ノーベル賞の授賞式まで追いかけてきたわけではないのだから。~中略~
この心配する心がなくて、どうして生まれたての、自分一人では立って歩けもしない赤ん坊を、無事に育て上げることができるだろうか。」小川洋子著作
『とにかく散歩いたしましょう』より
ということで、今回も必要以上に
母として、息子の友達全員の
心配をすることになったのだが。
(ちなみにみんな立派な大学生です。)
これはうちに来た息子の友達全員が
体験していることだと納得し
今回泊まりにきてくれたみんなは
笑って許してほしい。
こうして
毎回思うことは
彼らにとって
うちで過ごしたひと時が
彼らの人生の楽しい1ページとなり
たまに思い出してもらえたら
うれしいということだ。
そして、もしできることなら
不安なことがあったり
寂しくなった時に
あの山奥の友人の家で
心配性の親バカな二人が
応援してくれてたな、と
勇気を出してもらえたら
うれしいということだ。
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