看護学生が早稲田大学の講義に潜り込んだ話
こんにちは、ゆかです。
私は今、国試を控えた看護の4年生をしています。
国試が2週間後に迫った1月の30日、
私は友達と、友達の通う大学に一緒に講義を受けに行くことになりました。
今日は、そんな看護学生が
早稲田大学に潜り込んで講義を受け、
自分の学び方について感じた変化の話をしたいなと思います。
この日は元々、
高校の友達とテニスをしてご飯を食べて帰る予定だったのですが、
これから大学の講義があるというので、
「私も、普通の大学の講義、受けて見たかったなあ。」
とぽろっと言ってみたのです。
すると、
「本キャンだし、受けてみる?(笑)」
と友達が言ってくれて
私は
「え!行く!!」
とこのチャンスを逃すまいと、即決で講義を受けに行くことにしました。
(国試前に他の大学の講義を受けに行くなんて、、未来の私に憎まれないことを祈ります。)
電車で早稲田駅から徒歩数分、
私たちは早稲田大学早稲田キャンパスに到着しました。
門をくぐると、そこには絵にかいたような大学のキャンパスが…!
小中高大とずっと公立学校通いだった私には、
私立大学のキャンパスはキラキラしていて、イメージ通りのキャンパスライフでした…!
大学4年生なのに、まるで入学したての1年生のように、ワクワクが止まりません。
目の前には、まさに受験中の高校生が憧れるキャンパスライフが広がっていました。
大隈重信像を見てなんかすごい!と写真をパシャリと撮りました。
後で知りましたが、大隈さんは早稲田大学の創立者だったみたいです。(大学や歴史についての偏差値はそのレベルです。笑)
そして売店で軽食を買い、講義室へ。
段々になっている講義堂をイメージしていたのですが、白い長机とオフィスチェアが並べられたような思ったより普通の講義室でした。
今回は、企業実務概論の最終回、
「ビジネス思考の基礎・論理思考編」
という講義でした。
その友達の大学生活最後の講義を一緒に受けさせてもらえるなんて何と光栄なことでしょう。
レジュメが配られ、どんな学びが得られるのだろう
とワクワクしていました。
今回潜り込んだ講義の内容をざっくり説明すると、
自分の特徴や対人関係で出る特徴や癖、個性を交流分析という自己分析のような方法で把握しようという
わりと看護でも日常でも生かせる面白そうな内容でした。
売店で買ったおでんを急いで口に押し込み、
講義が始まりました。
ふむふむ、メモを取って聞いている時、
私はふと、
これをあの人に伝えたいな!
何をどのように伝えようかな??
と
「誰かに伝えること、アウトプットすることを意識して学んでいる自分」
に気づいたのです。
あれ、今私能動的に学んでいる…?
こんなに前のめりなの看護の講義ではなかったんじゃない?
と以前の自分との違いに内心驚いていました。
学びは
自分のために
というのはもちろんなのですが、
それに加えて、
”誰かに伝えたい!”
”あの子の役に立つかな…?”
と自分以外にも視野を広げて、誰かのための学びをしていたのです。
以前の看護を学んでいる自分にはなかった思考回路でした。
では、なぜそういう思考回路が作られたのか、振り返ってみると、
私はあるオンラインコミュニティに入っており、そこに更新されるラジオやブログをみて学んだことをLINEである人にアウトプットする習慣があった
ということが大きく影響しているように感じられました。
そのコミュニティに入っている人は、
学びを流さず、自分のものにするために
ラジオを聞いたり、ブログを読んだりしたら
教わっている方個人へ気づきや学びをアウトプットしてから、コンテンツを見たことをグループに報告する
というルールがあります。
なのでアウトプットまで完了しないと、いくら見たとしても見たことになりません。
ちゃんと見てるのに…
アウトプットしなきゃ、、
進みたくても次に進めない…!
と最初のころはアウトプットとセットでないと報告できないもどかしさ
がみんなきっとあるんですよね。
私も、できない日はインプットばかりして重くなるし、どんどんアウトプットのペースが遅くなってしまいます。
そのオンラインコミュニティの中には抽象度の高い本質的な学びを得られる
質の高いコンテンツばかりです。
そこの講師であり、教わっている方の師匠である新田さんは、コンテンツ内で、
ここで学べることは、一言で言えば、
「今いる”領域”の外にいくための知恵」
そして、”領域”の外にある、
「とてつもない安心感(あたたかみ)」
だ
と表現されています。
まさに私もそう感じます。
どのコンテンツもとても面白いし、すぐ日常に活かせるのでどんどん聞いたり、読みたくなってしまいます。
ですが、ただ聞き流しているのでは
記憶にも残らず、思考や行動も変わりません。
受動的な学びになってしまいます。
私はそこに入って約5か月になりますが、
もちろんアウトプットは毎日ではないし、1,2週間ほどしていなかった時期も何度もあります。
最初はぶわーと内容や感想を長文にわたって書き連ねていましたが、そう長く書いてしまうと
時間もかかるし、自分でアウトプットのハードルを上げてしまい、続けるのが難しくなります。
長く書かなきゃと思っているわけではないのに、メモしたキーワードをアウトプット用につなげて文章にしようとして、
結局、細かいところまでたくさん書いてしまうのですよね。
途中で何書いているかわからない
ただの内容の要約になってしまっている
書いて満足してその後の行動につなげられていない
そのようなアウトプットの呪縛にとらわれてしまっていました。
このような呪縛にとらわれ、
アウトプットが1週間丸々できなかった週もありました。
毎日聞いているのにアウトプットは後回しにしてしまう。
落ち着いてアウトプットを書けるタイミングがない。
とできない自分に後ろめたさを感じるようになりました。
そういう状態で2週目に入ろうとしたとき、
このままではいけない!
どんどん落ちてしまう…!
と私は何とかこの悪循環を打破しなければと思い、なんとか重い腰を上げました。
まず、
なぜ、後回しにしてしまうのか、アウトプットができないのかを考えてみました。
考えているうちに、そもそも、ゆにわ塾のアウトプットは誰のために、何のためにやってるんだっけ?
となんとなく理解しているつもりだったことを考え直してみます。
ここに入って学んでいるのは
自分の学びと成長のため
よりよい行動ができるように、人間力を上げるために
だよなあ、と
教わっている方によく思われたいから
ではなく、
自分のため
だということを再認識します。
なので、アウトプットする目的は、
コンテンツを受動的に聞き流したり、読み流したりすることを防止し、
「しっかりと学びを定着させ行動に結びつけるため」
だと考えています。
重要なのはアウトプットすることではなく、そのあとの行動です。
実際にその学びを意識した行動をしてみてどうだったのか、
という行動ベースのアウトプットの方がより自分の成長に近道になりそうですよね。
私は、その目的を意識せず、わざわざ自分を習慣化から遠ざけるようなアウトプットの仕方をしていました(笑)
極端な話、
「これを見て〇〇と学んだので、〇〇をやってみます!」
と宣言し
「実際やってみたらこうでした!
こう感じたので次はこうしてみます!」
や
「こうした方がいいと感じたのですがこれはどうなのでしょうか?」
とやってみて実際どうだったのか、行動をもとに考えたことや気づいたこと
の報告だけをして終わりでもいいのかなと私は思います。
重要なことは、「学びを行動に変えること」なので。
それに気づいた私は、
アウトプットに書く項目を明確に言語化してみました。
私がアウトプットする際に意識することは、
このコンテンツから何を得られたか
内容と結びつく日常のストーリーはあるか
学びを踏まえてこれからどう行動するか
の3つに絞ることにしました。
さらに時々、かずきさんに対して、伝えたいときは最初に、
どのような経緯で見ようと思ったのか
も書いたりしています。
後々見返すときに自分でも、なぜこれを見ようと思ったのか記録しておくといいかもしれないですね。
これらの3点を意識してアウトプットを書くようになってから、
文量的にも気持ち的にもとても軽くなり、
その方にも
いいアウトプットだね
とほめていただけるようになりました…!!
そして、コンテンツを聞く際は
聞きながら、あるいは聞いてすぐにメモすることで
学びたてほやほやな状態でアウトプットできるので
感情が乗りやすくなります。
結局は
インプットとアウトプットの時差をいかに埋められるか
が勝負な気がしています。
時間がたてばたつほど、学びや感情の記憶を呼び起こさなければいけないので
余計なストレスと時間がかかってしまいます。
そして面倒くさくなり、後回しにし、
結局アウトプットできず、そのコンテンツはせっかく聞いたのに流れてしまうのです。
もちろん、これはアウトプットしたい!というものに関しては何度も聞いて頑張って書くこともあります。
歩きながらだとどうしても聞きながらアウトプットすることが難しくなってしまいますからね。
そういう時は何度か聞いています。
こうして、徐々にアウトプットの回数を積み重ねていくうちに
ゆにわ塾以外の日常の学びの吸収の仕方も変わってきたように思います。
その一つが、今回の話題に取り上げている
大学講義での脳の動き方です。
いつもアウトプットしているかずきさんに向けて、
自然と、教わっている方に伝えよう!
何をどのように伝えようかな?
とアウトプットをすることを前提に脳が吸収していることに気づいたのです。
無意識にもそういう思考回路が働き、
講義のポイントを文章化し始めていました。
そして、それからはその学びと結びつく経験がないか、記憶の検索をかけ始めます。
これは”ストーリー作り”を意識しているのだと思います。
といつの日か、学びました。
エピソード記憶やイメージ記憶も利用し、せっかく得られた学びの機会をものにしようと
今まで培ってきた勉強法のノウハウを活用しようとしているのだと思います。
そんな自分の潜在意識下の頭の働きに気づいたとき、
「あ、自分、
能動的な学びができているかも
学び方が変わってきているのかも」
と感じました。
それと同時に、
学んだことをアウトプットできる場があるってとても素晴らしいことなのではないか
とふと、感じました。
今まで一方的に、あるいは義務感で教わっている方にアウトプットを共有させていただいていましたが、
普段かかわりある人で、学んだことを話せる人、共有できる人ってなかなかいないですよね?
友達同士でもそんなことする人は多くないでしょうし、
先生にも講義に関しては感想カードやレポートで提出するときもあるかもしれませんが、伝えたい!!
という思いで書いている人は少ないのではないかなと思います(笑)
映画を見たり、何かを体験したりして
心を動かされて
この感動や感情を誰かに伝えたい!
と思うことは誰にでもあると思います。
それを自分の中で完結せず
伝えられる、共有できる人がいるって
普段は意識することが少ないですが、実はとても貴重で幸せなことなのではないか、
と思います。
今では、InstagramをはじめとしたSNSがその手段となっているように思います。
Instagramの中でもストーリーズはまさに、今この瞬間の感情、出来事をシェアすることに皆さん使われていますよね。
その感覚に近いです。
学んだら、何かを考えたら
あの人に伝えたい
誰かの役に立ちそう
と人に伝えてみたくなります。
その相手がいるってすごく幸せなことだなあと感じました。
一方的に
こんなこと感じました!
と投げるのもいいですが、
反応があると100倍嬉しいし、モチベーションになったり、自分のアウトプットを改善するヒントになったりもします。
アウトプットをいつでも受け付けてくれて見守ってくださるその方の存在って実はすごくありがたいのだなと
何かを聞いたり、読んだりしたらアウトプットする。
というルールなどのちょっとした強制力があることで、自分自身の成長に必要な負荷となり力を伸ばしてくれること
アウトプットすることは最初は、時間もかかり、ストレスに感じることもあるけれど、
アウトプットすることの本来の目的を見失わずにゆるくでも続けていけば、
学び方や捉え方、考え方が変わってくること
に気づきました。
結局は
小さくても継続すること、日々の積み重ねが大事なのですよね。
とても長くなりましたが、
学びのアウトプットを約5か月間続けてみて感じた変化
アウトプットできる人がいることのありがたさ
を伝えたくて、この文章を書いてみました。
少しでも参考になれば嬉しいです。
もし、
アウトプットがめんどうくさいな、
負担で続かないな、
ちゃんと書かなきゃ
と思っているみなさん、
【学んだこと】と【やってみようと思った行動】
だけ、まずは誰かにアウトプットして行動に移してみましょう!
私もインプットとアウトプットのサイクルを滞らせずに早められるよう、アウトプット力を鍛えていきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ーーー
P.S.)
あーー今アウトプットしたい!
でも書くものも話す人もいない!
という時、
新田さんが出会ったインド人のことを思い出しました(笑)
その記事はこちら↓(爆笑できるほど面白いのに学びも得られるのでぜひ読んでみてください)
あの人もヨガや魔術について誰にも伝える手段がなくてこんな気持ちだったのかな、と
インド人の頭脳は優秀なのに経済が発展していないのは、村など閉鎖的な環境でアウトプットできる人やツールがないからなのではないか、
という新田さんの考えにはなるほど!確かに!と衝撃を受けました。
アウトプットできる人や手段があること
大切にします。
ありがとうございました。