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kawaiiは、不完全を愛してきた日本文化の精髄

先日、子供と「キモかわいい」とは何かという話をしていました。可愛いという褒め言葉に、気持ち悪いのキモがつく。不思議ですよね。
そのとき子供が一言
「美しいは完璧でないといけないけど、可愛いは不完全でもいいんだよ」
なるほど、と納得した次第です。

・「可愛い」の語源は「可哀想」

「可愛い」は、現代でこそ褒め言葉ですが、もともとは「可哀想」から派生した言葉です。弱々しいもの、不憫なものなどを憐れむ感情を表現していたのです。
それが転じて、小さなものなどに感じる気持ちを表現するカワイイが生まれています。「愛すべき」という意味の「可愛い」は当て字。

その成立からわかるように、カワイイには「立派」や「完璧」という概念は含まれません。むしろ、子供など発展途上のもの、不完全なものにたいして使われるものです。

不完全に価値を見出すのは、日本の伝統文化です。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは〜」
という徒然草の記述しかり。
さらに利休のワビサビに至っては、歪んだ器や、ヒビの入った花活けに積極的な価値を見出すようになりました。

「kawaii」が、日本文化を代表する言葉として広がったのもむべなるかな。

・不完全を愛するのは循環の思想?

西洋文化、とくに一神教の影響を受けた文化は「完璧」を求める傾向があります。全知全能である神を基準にして物事を考えるからでしょう。不完全な存在である人間は、完全である神の前にひざまずきます。

人間の歴史も、完全なる神の楽園に始まり、現在を経て、また完全なる神の国に至ると考えます。不完全なる今は一時的な仮の形。最終的に価値があるのは完全だとしています。

一方の東洋では、世界を循環で考えます。朝が来れば、昼になって、夜になる。春が来れば、夏・秋ときてまた冬になる。
こうした循環の思想では、完全は立派なものとして尊ばれながらも、不吉なものとも考えられます。上がったものは、次は必ず下がるからです。

建物が完成すると縁起が悪いとして、わざと未完の部分を残すことさえあります。完成に向かう余地があるものは、完成したものよりも尊いのです。

・ジャパン・クオリティ

ただ、現代ではむしろ、完璧を求めすぎるのが日本人だと言われます。

たとえば、車の製造現場で、表面の塗装に軽い擦りあとがついただけで、日本では不良品扱いになります。また家電製品などは、箱が少し凹んだだけで本体に傷がなくても不良品扱いになったり。

こうした、実用上問題がないところまでこだわってしまった品質を「ジャパンクオリティ」と言います。日本でしか求められない品質、という意味。
その品質を守る手間を掛けるため、いまでは日本の生産性を下げる一因になっていると言われることもあります。

kawaiiが世界語になってきた今、日本は、もう少し力を抜いてもいいのかもしれません。「不完全を愛する心」を思い出しましょうか。

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