そっと暴かれるほど、どきっとする。
大学時代、学部はちがうけど、はぐれ者の友達の友達として知り合った友人がいる。2年に1度会うか会わないかくらいの距離感。
社会人になって数年のある日の休日、お昼を一緒に食べようと話が纏まり、彼女が気になっていたというカレー屋さんで待ち合わせた。
なんとなくお互いの近況を話した。
すこし緊張しながらも、丁寧に言葉を紡いだ。
なんの話題をしていたかは忘れたけど、彼女はわたしのことを
「変わらず、繊細なんだね」と言った。
それに対してわたしは
「ううん、年々鈍感になっていくよ」と返した。
お互い気を遣うけど、嘘はつかないので、これはお互いの本心だった。
でも、だからこそ、わたしはとてもどきっとした。
わたしは繊細さを克服して、鈍感力を磨いてきたという自負があったから。
彼女からの指摘によってわたしがわたしにこう問いかけた。
「わたしは繊細ではなくなったと思い込んでいただけなのではないか」
「そう思うことをお守りにして、奮い立たせていたのではないか」
決して強要されたわけでもなく、むしろ彼女の声色はいつも通り細く、やわらかで、しかしピンとまっすぐ伸びた糸のようなものだったから、余計にわたしはその不意打ちのことに動揺した。
わたしが閉め切っていたカーテンの向こう側を見透かされたみたいだ。
おそらく彼女は「光が漏れていたから、どんな色かわかった」と言うんじゃないだろうか。
何かしてやろう、相手に影響を与えてやろう、という言葉には助走みたいな予備運動があるから、すこし構えられたりするけど、こういう言葉ほど、心臓の奥まで浸透して、わたしの意識を変化させたりする。
確かに今もちょっとのことで落ち込んだり、傷ついたりする。「気にしない、忘れた」と言い聞かせても、しばらくは気分が晴れない。認める。わたしは傷つきやすい。繊細だ。
彼女の言葉がきっかけで、わたしは傷つきやすい自分のことを弱き者め、と、ないがしろにすることがなくなった。
今度はまたいつ会うのかわからないけど、そのときは一体どんなふうにわたしの内側を見られて、どんな言葉を発するのだろうか。
それがこわくて、楽しみでしょうがない。