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一周忌が終わって

先日、母の一周忌が終わった。
父はこの夏、特養から介護医療院に転院。
医師の判断で一周忌参列はしないこととなった。

昨年、お葬式と四十九日は、入院中の病院から車椅子で参加していた父。
この一年で、もう杖で歩くことも出来なくなった。

特養に入るにあたって、歩けるようにするリハビリはしないという話だったので仕方ない。

今回、兄の自宅近くの特養から実家近くの医療院への転院。
近くはないが前より私の所からも通いやすくなった。


亡くなって一年、いやそれ以上前から
母への感情的な思いが沸々湧き出てきていた。

寝る前や朝、起きた時などは特に色んな気持ちがこみ上げてくる。
活動し始めると生活に忙しくて忘れるけれど。

私は母から好かれてなかったのだろう。
まぁ酷い虐待などない。安サラリーマンの家の子として地味に育ってきた。

母の中にあるドロドロしたトラウマと、それを意識させる娘。
良い親として隠していたつもりでも、娘を愛せない気持ちがにじみ出ていた。私も薄々わかっていた。

昔から母のちょっとした態度・行動の中に
私に対する”対抗心”のようなものも出ていた。

そして発達障害の気質を持つ私は、そんな母の感情を汲んだ発言や行動ができなかった。
大人しい子供だったが悪気なく思ったことをそのまま発言していたのかもしれない。

親子でも本音でぶつからないほうが良かったのだ。

いや、要は、親子でも単に気が合わなかったのだ。

その点、兄は幼少期から空気を読んだ行動をしていたと、今になって思う。
(小さい子供が親の顔色を見て気を遣うなど、普通の子供は当たり前のようにしているのだろうか)
そのコツを、利発なはずの兄は教えてくれたことはなかった。私が生まれた時から既にライバルとしてみていたのではと、今になって気づいた。

私は感覚的に母とは気が合わないと、4,5歳くらいの頃には感じとっていたように思う。
ただ普通の親は、子供に無償の愛を感じて育てているのが当たり前だと。母は世間でも優しく良い人間で普通の親だから、自分の子供に無償の愛を感じているはずと、勝手に思い込んでいた。




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