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43歳、ひきこもりの姉。

体感温度が40度近い東京のアスファルトの上を、仕事の打ち合わせで必死に飛び回る。むき出しの腕には、今日の太陽が痛くてしょうがない。

なんとか家に帰って、気づけば化粧も落とさずソファーで寝落ちするような独身女のわたし。

早朝6時前に寝苦しさで目が覚めて、もぞもぞとTwitterをいじっていたら、珍しく姉の携帯からの着信。3ヶ月ぶりくらいかな、珍しい。

「この猛暑の東京、狭い部屋でアノ人は死んでいるんじゃないだろうか」

ちょうど昨日、灼熱の麹町でそんなことを思っていたので、ドキリとした。

ツイキニタ、

いつも情緒不安定な彼女が、私に電話をすることは稀だった。

だって、私たちは分かり合えないから。電話は、姉は怒りながらガチャ切りするか、呪詛のような姉の言葉を耳にして私が機械的にボタンを押して切る。そんな電話ばかりが続くくらい、私たちに電話も対話も意味がない。

私に電話をしたくない彼女が、かけて来るなんてよほどのことだろうと、不思議なくらい冷静に寝ぼけた声で電話に出た。

寝起きに電話をかけてしまったことを詫びた姉、少し言葉を交わした後、早速彼女は本題に入った。「引っ越しをしたいから、お金を貸して欲しい」

あれだけ家族思いで、プライドが高かった姉は、本当にどこに行ってしまったんだろう。

貯金が融けていく、部屋

1年以上無職で、派遣時代の貯蓄を食いつぶしながら、引きこもっていた彼女が、やっと10万近くもする家賃の部屋から引っ越したのは、数か月前のことだったのに。

もう数えきれないくらい、何度もなだめてすかしてケンカした。働けない状況で家賃で年間100万円近く溶かすなんて、もったいないからと。言う度に、「あんたとは価値観が合わない」「自分の尺度を押し付けるな」「私の勝手だ」と、20年以上前の子どもの頃のケンカまで引きずり出して怒り狂われ、いつしか諦めていた。

姉はいなくなってしまった。もう何も通じなくなってしまったんだなぁと。

でも、やっと数か月前の更新で、彼女が動いた。更新の2週間前に。1年以上無職だった彼女は、保険証もない。日差しに弱いため、20年前実家に置いてきた流行に周回遅れしてヨレヨレな私のお下がりの長袖を着て、不自然なサングラスをかけて、小さな住み慣れた街の不動産屋をとぼとぼと回ったんだろう。「在職証明や保険証がいらない物件」を探して。

でも、見るからに嘘が虚構に見えてしまうくらい大根女優の彼女は、色々つまづいたんだろう。最後に、私に代わりに借りて欲しいと、昼下がりに電話してきた。

「今日6時までに、あんたが申込書類を書かないと困る」

えーと、私5分後には仕事の打ち合わせが始まって2時間くらいかかるし、それって住民票とか頭金とか補償とか私だよね?何度もアラートしたよね。部屋探し大丈夫って?え、私の会社に頼んで会社で契約できないか?

彼女が窮状なのは十分わかっている。20代でまだ姉に希望を持っていた私なら、クライアントに謝り倒して、何とか色々工面して行ったかもしれない。でも、今の私は、ここで助けても、何年後にかは、物語が書き換えられて呪詛に代わるのを知っているから。

ごめん、それは無理だよ。

案の定、彼女から信じられない、ひどいと言われた。「じゃあ、いい。あんたに頼るんじゃなかった」吐き捨てられた。でも、彼女は何とか、期日ギリギリで、その小さな町でアパートを見つけたらしい。色々不問で老夫婦が営む、時代を重ねたアパートを。

そして、物件を探している間は、あれだけ相談に乗ったのに、そのあと連絡は途絶えた。母に私への呪詛を残して。

猛暑に耐えかねて

証明書類は不問のアパートの大家は、破れた網戸も壊れたシャワーもすぐに直してくれるいい老夫婦らしい。でも、だ。カベも薄く、西日もきつい安普請のアパートに、この猛暑は容赦なく襲い掛かった。彼女のプライドも熱で曲がったのかもしれない。

「歩けないくらい、フローリングが暑くて」

今は持病もあるらしいから、お金もなく、病院に通い、それ以外の時間は満身創痍で、TVもない部屋にじっと横たわる。部屋にいる時間が誰よりも長いであろう彼女にはつらいはずだ。

就職氷河期の只中を、騙されたり色んな目にあいながらも必死で転々としながら生き抜いて、やっと辿り着いた、プライドもかなぐり捨ててかろうじて手が届きそうだった正社員の職を、試用期間に起きたリーマンショックで失った。そのとき壊したココロと身体を引きずって。彼女は今も生きている。転々と、点々と、色々削って生き長らえてきた。

人は働くことと人格とが、人生とが一体なんだと。嫌というほど思う。

「網戸の目よりも小さな、図鑑にもない虫がいっぱいいて刺された。感染症になるかもしれない」

凹んだお尻や腰骨には床ずれがあるらしい。「床ずれから感染症やガンになるとネットで見た」、そんな風にも言っていた。


もう、悲しい。


これは嘘で、あの姉が明日の朝には私たちの前に帰ってくるんじゃないか。

何とかして助けたい。
でも、正論は届かない。一時のお金も彼女には意味がない。
誰か助けて。

なんでこんなになってしまったんだろう。
長女風を吹かせて、ツンとしていた気立てのいい姉を返して欲しい。

きっと今、彼女は、やせ細って、ぎょろっとした目で、夏の朝日に灼熱になった狭いアパートから、おずおずとこの電話を掛けているんだろう。


誰だよ、派遣なんて働き方作った奴。

就職氷河期なんて作った奴。

私は絶対に許さない。


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姉は、就職氷河期の真っ盛りに社会に出て、壊れた。 でも、それはきっかけでしかなかった。 心配していた対象が、どす黒く変質し、その後醸成されてきた無敵の人は、 もう別物でした。家族のことは家族で、は無理です。