ずんだと日本酒と。
今回の投稿は、とても慎重になっています。
いつものお店の事とは離れた内容になります。
お昼からの営業のある日、営業が始まり、程なく一人の女性が入店して来られました。その女性は、物静かに見えて、私も話しかける事に少しためらいが有りました。
「日本酒どんなのがありますか?」
そう女性は言ってきました。
4合瓶の日本酒を3種類、お見せしました。
「東北電力のお酒?」と言い、
「すみません、日本酒大丈夫です」と何となく拒否ともとれる、お断りを頂きました。
好きな感じではなかったですか?
と伺うと、
「東北のお酒が飲めるとあったので、何かなあと思って来たんですけど」と濁され、しばらく沈黙が流れます。
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沈黙が流れて、「沖縄が好きなんですか?」
と質問を頂きました。
答えると、「沖縄から福岡に引っ越して来ました。元々は宮城なんですけどね。」
転勤ですか?沖縄が好きなんですか?
「疎開のような事です」
お話を聞くと、東北大震災のあとの、福島第一原発事故後、子供さんが小さく、避難として沖縄に移住したという話だった。その時期は全国からそういった移住迎え入れの支援策があって、たくさんの方が宮城を離れたんだそう。
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日本酒の瓶にあった
『東北電力栽培米』の文字
私が今日提案した日本酒は、
私なりの秋田水害支援で、秋田のお酒だった。
でも、瓶には【東北電力】の文字が。
そんな経緯とは知らなかったとはいえ、
そんな経緯ならばひっかかるWordだったなぁと、想像しても追い付かなかった私が居た。
そこから原発事故当時の話を伺い、
子供さんが産まれたばかりで心配が強く、
情報がなく、不安が募り、
沖縄へ避難したと聞いた。
見えないものは怖い
コロナで国民の皆が、感じた事。
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偶然と思えないずんだ
その日初めて、枝豆(ずんだ)のコロッケをメニューとしてお出ししていて、ずんだをペーストにする手間、大変さについて話が盛り上がった。今でもずんだ餅を手作りされるそう。
美味しいものがたくさんあって、
懐かしい場所、
戻りたい場所、
宮城だと話す女性。
「もう震災は、12年前ですけどねー」と話す女性はあのときの子供さんと、沖縄の疎開生活を終え、福岡に移住されきた。
そういう事なんだと思った。
私は何故、今まで作ったこともない、
ずんだを作ったんだろう。
その一致性が、何だか不思議だった。
話を聞いていて、
涙が出そうになったのは、
ぐっと堪えた。
私は、
知らずに生きてきたのだから。
秋田の水害で酒蔵が水没したという内容のTwitterが廻って、「購入」した。
分からない、けど私成りの、出来ること。