見出し画像

今回の投稿は、とても慎重になっています。
いつものお店の事とは離れた内容になります。

お昼からの営業のある日、営業が始まり、程なく一人の女性が入店して来られました。その女性は、物静かに見えて、私も話しかける事に少しためらいが有りました。

「日本酒どんなのがありますか?」

そう女性は言ってきました。

4合瓶の日本酒を3種類、お見せしました。

「東北電力のお酒?」と言い、
「すみません、日本酒大丈夫です」と何となく拒否ともとれる、お断りを頂きました。

好きな感じではなかったですか?
と伺うと、

「東北のお酒が飲めるとあったので、何かなあと思って来たんですけど」と濁され、しばらく沈黙が流れます。

=====================

沈黙が流れて、「沖縄が好きなんですか?」

と質問を頂きました。
答えると、「沖縄から福岡に引っ越して来ました。元々は宮城なんですけどね。」

転勤ですか?沖縄が好きなんですか?

「疎開のような事です」

お話を聞くと、東北大震災のあとの、福島第一原発事故後、子供さんが小さく、避難として沖縄に移住したという話だった。その時期は全国からそういった移住迎え入れの支援策があって、たくさんの方が宮城を離れたんだそう。

====================

日本酒の瓶にあった

『東北電力栽培米』の文字

私が今日提案した日本酒は、
私なりの秋田水害支援で、秋田のお酒だった。
でも、瓶には【東北電力】の文字が。

そんな経緯とは知らなかったとはいえ、
そんな経緯ならばひっかかるWordだったなぁと、想像しても追い付かなかった私が居た。

そこから原発事故当時の話を伺い、
子供さんが産まれたばかりで心配が強く、
情報がなく、不安が募り、
沖縄へ避難したと聞いた。

見えないものは怖い


コロナで国民の皆が、感じた事。

===================

偶然と思えないずんだ

その日初めて、枝豆(ずんだ)のコロッケをメニューとしてお出ししていて、ずんだをペーストにする手間、大変さについて話が盛り上がった。今でもずんだ餅を手作りされるそう。

美味しいものがたくさんあって、
懐かしい場所、
戻りたい場所、

宮城だと話す女性。

「もう震災は、12年前ですけどねー」と話す女性はあのときの子供さんと、沖縄の疎開生活を終え、福岡に移住されきた。

そういう事なんだと思った。
私は何故、今まで作ったこともない、
ずんだを作ったんだろう。
その一致性が、何だか不思議だった。

話を聞いていて、
涙が出そうになったのは、
ぐっと堪えた。

私は、

知らずに生きてきたのだから。


秋田の水害で酒蔵が水没したという内容のTwitterが廻って、「購入」した。
分からない、けど私成りの、出来ること。

それで良いと、思っている。そして、
知る事から、悩み、考え続けよう。


いいなと思ったら応援しよう!

しぃちゃん(福岡市の看護師が営む店『博多okatteふじコ』店主)
2020年コロナ禍に開業した看護師です。ワクワクが止まりません。Withコロナはまだ続きますが、継続していけますように応援お待ちしております。