資本主義の果てに
私たちの国
私たちの国、日本は資本主義国家である。
その選択は戦後の荒廃した我が国においては人々を復興へと駆り立てるのにうってつけであり、実際にその効果は高度経済成長として私たちに実りを与えてくれた。
そして、年金に生活保護に国民皆保険制度にと充実したシステムを実現するに至っているのである。
私たちは幸せなのか
ここからが本題。私たちは資本主義に対して何のために何をしてきたのだろうか
かつては復興と他国との熱い経済成長バトルであったのかもしれないが、現代では十分に満たされていると見ることも出来る(色々と問題はあるが)
その国にあって求めているものは何か
私たちを日本人という定義からホモ・サピエンスとしての定義へ視野を変えて考えていただきたい
人はただ今を生きるという根本的な目的以外に、財や愛、学を求める生き物なのである。
それを広義にとらえると幸せを求めているのではないだろうか
ブッダは幸せについてこう説いている。
大きな幸せを持つことは同時に大きな痛みを持つことである。よって、少ない欲をもって足ると知ることが健やかな日々をもたらしてくれる。
逆に資本主義はもっともっとを求めるもの
この二つの意味、真逆の事を指してはいないだろうか
これからの資本主義
人の生きるお目当は幸せだとして、資本主義はもっともっとを求める考え方と解きます。その心は得るも失うも堂々巡りでしょう
先ほどのブッダの教えが正だと仮定すれば得れば得るほどに痛みの負債を抱え込むことになる
つまり私たちは(今はそうでなくても)疲弊しているのではないだろうか
これからは人生100年時代だと言われている
若いうちにそんなに負債を溜め込んでいいのだろうか
私個人としては嫌である
なので、出来るだけ欲を出しすぎない様にするほかないだろう
小欲知足。この言葉を2500年歳のブッダに言われたら私たちは何も返す言葉がないのかもしれない