室内管絃を外観する
管絃とは日本古来の宮廷音楽「雅楽」を表し、
西洋のオーケストラ「管弦楽」と区別して「管絃」の字を用いる。
和楽器にうとければ、絃と弦の区別はピンとこないかもしれない。
管楽器と絃楽器による合奏を意味し、
そもそも外来音楽にそのルーツがある。
中国・ベトナム・インド・ペルシャ起源の「唐楽」
朝鮮・渤海起源の「高麗楽」
楽器のみ合奏である管絃に対して、舞を伴うものを舞楽という。
唐楽には管絃と舞楽の両方があり、高麗楽(こまがく)は舞楽のみ。
外来音楽は渡来後は、室内楽として発展した。
方丈記の方丈の室内調度にも和歌・管絃がかかせない物として登場する。
管絃には西洋のオーケストラのような指揮者は存在しない。
そこにあるのは時の声や渡物などタイムリーな変調の導入。
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時の声:
雅楽の中に伝わる「時の声」は四季に応じた調子であり、一日の中にも時の声があったとも言われていて、調子を時間の流れに関連づけていた。
渡物(わたしもの):
移調による旋律の変化を楽しむことを渡物という。当初は即興性を楽しんでいた。
管絃祭の英訳
Annual music festival on Sea
厳島管絃祭それはまさに海上の音の祭典である。
旧暦の6月17日嚴島神社最大の神事、管絃祭。夕刻の干潮から夜半の満潮の中で、移動式の管絃の舞台としての御座船が海峡を横断するあのダイナミックな賑わいの近景と、闇の中遠くから徐々に近づいてくる幽(かそ)けき音源を待つもう一つの時間。異国の音に彩られた室内演奏。
それはさながら合奏を包みこむ大きな1つの楽器。
障子に囲われた室内は一つのスピーカーのようにどことなく間接的で澄んだ響きを闇の中に解き放つ。
旧暦の閏六月は管絃祭を二度行う。
そのうちの一度は社内で動かずに行うため、居管絃祭という。
居管絃祭では、社内の高舞台を御座船を模した形の仮設の室内に仕立てて、船上での演奏プログラムがそのまま行われる。
屋外での室内楽、しかも動かない状態でも動く時と同じスタイル。
考えて見たら不思議な設定である。
闇の中、音によってできる内と外、室を1つの楽器として外観化し、
風景を内部として取り込みながら呼吸する。
海上神事は周辺を取り込みながらオーケストレートする。
曳舟の漕伝馬の躍動感のある調子と対比的な御座船の荘厳な演奏のリズム。
また逆に漕伝馬の中の沈黙の所作や、御座船の中のダイナミック動作。
デュオニソス性とアポロン性が拮抗し反転を繰り返す祝祭の舞台と
そして転調するBGM、波の音や櫂を漕ぐ音、潮の変わり目、
ありとあらゆる音が「時の声」・「渡物」として取り込まれる
サウンドスケープ。