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目の前にある緑茶入り紙コップの見え方

 今この瞬間において、私の目の前には緑茶入りの紙コップがあります。この紙コップは木製の円机に置かれています。これは誰の目から見ても同じ緑茶入りの紙コップが丸机に置かれているように思われるかもしれませんが、この見え方は人によって異なるのです。

 まず、私は自分で緑茶を注いだからこそ、紙コップには緑茶が入っていることを認知しています。しかし、私の反対側にある1人掛けの席に緑茶を口にしたことも見たこともない人が座って紙コップに入った緑色の液体を初めて見た場合、その人はそれを緑茶だと認知することはできるでしょうか。下手をしたら、その人はそれを飲み物とすら認知できないかもしれません。これは同様に紙コップに対しても該当する話です。つまり、人は同じものを見ているつもりでも人によって見え方が異なるのです。

 これは情報量の違いに起因しますが、あくまで同じ次元ないしは同じ空間でものを見ているので、まだこの程度の認識の違いで済みます。一方、仮に私たちの住む世界が誰かに作られたゲームの中の世界だとして、この世界を作るゲームクリエーターにとっては緑茶入りの紙コップはどのように見えるのでしょうか。

 私たちにとって緑茶に見えるものは、ゲームクリエーターにとってはただの粒子の集まりにしか見えないかもしれません。また、私たちにとって紙コップに見えるものは、ゲームクリエーターにとってはポリゴン情報にしか見えないかもしれません。情報量の違いに加えて、このように見る人の視点によっても目の前にある緑茶入りの紙コップが異なるものへと化すのです……

 「相手の立場に立って考える」という表現がありますが、この表現は相手の情報量と視点を把握することなのかもしれません。

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ハカセさん
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