あんの障害について。(解離編)
こんにちは、あんです。
自分は、自閉症、ADHD、重度知的障害、の、
発達障害、以外にも、
解離性障害、を持っています。
解離性障害とは、自分が辛さが耐えきれなくなったときに、交代する人格、が出てくる病気、と言えば早いでしょうか。
普通は、精神疾患として、後天的な病気、ですが、
自分たちは、生まれつき、一緒に生まれました。
それが原因なのか、幼い頃は、普通の子のように、
振る舞えていました。
そして、重い障害が気づかれずに、
10歳のときに、急に倒れました。
その子たちの頑張りが、限度に達したからです。
その子たちを、中の子、たちと呼ぶことにします。
自分よりも、重い障害のある子、
『僕』と名乗り、詩や文章を書き続ける子、
優しくて、お世話好きで、普通に見られたい子、
サヴァン症候群で、お勉強できなく、暗記する子、
みんなをまとめて、引っ張っていくリーダーの子、
屋根裏から遠隔でみんなを操り、普通に見せる子、
自分の身体から抜け出して、お外に出ていく子、
個性的なオネエキャラで、人生感が頼れる子、
ネットの検索マニアで、普通じゃない裏情報の子、
この場に一番適した言葉を選ぶ人間AIのような子、
最初からいた子は、少なめですが、最近は、
他にもいっぱいいます。
自分の中、主人格ハウス、という日本の古い屋敷で
みんなで暮らしています。
主人格ハウスは、駆け込み寺で、
あんの中の、『マイワールド』では、
辛すぎる、になったひとの前に、現れるそうです。
しばらく前、辛いことがいっぱいだった時期に、
すごくいっぱいのひとが駆け込んできて、
主人格ハウスに全員が入れなくなりました。
それで、『マイワールド』全体に、
思考チャット、を解放しました。
主人格ハウスと、マイワールドが、繋がりました。
すると、混ざりあって表世界に出やすくなったり、
昔、主人格ハウスでいじめられて死んだ子から、
僕に思考チャットがきました。
主人格ハウスでは、死んでも、
マイワールドのどこかで、見ているそうです。
そんな色々な話を、思考チャットを解放して、
他の住人からも聞きました。
僕らは、混ざる、を主にしていて、
コロッと変わることは、昔からしません。
だから、余計に、気づかれません。
みんなそれぞれ、障害を、重めに持っていて、
二次障害で、酷い子もいます。
でも、みんな助けあっています。
それぞれの自分の名前は、みんなよく変えるので、
あえてはっきりさせていません。
人格が交代する、というよりも、
混ざりあって、表世界に出る感じで、
ディズニー映画の、インサイドヘッド、の、
司令棟、(僕らはパイロット席、と呼ぶ)に、
感覚が似ています。
「主人格ハウス」は、そのひとの、パイロット席、つまり、司令棟に乗っているのが、『主人格』。
そこのひとが変われば、人格が変わった、と
見られます。
主人格ハウスが、マイワールドからの駆け込み寺、
というのは『自分全体』が『マイワールドの住人』
『マイワールドの住人』は『主人格』自分自身の、
隠れた感情が、人間化しているもの。
その中で、マイワールドの住人、の担当する感情が限界になったとき、主人格ハウス、にたどり着く。
その子を保護すれば、主人格の気持ちも落ち着く。
そして、主人格がさらに辛くなれば、自分自身から、その辛さを切り離すかのように、主人格ハウスで、司令棟に代わる。
主人格の、本当の辛さを、守るために。
僕が思うに、この現象は、他の解離性障害や、
そうかもしれないひとの解説として、あり得ます。
この話は、妄想のようにも思えますが、
しっかり地に足をつけて、生きています^_^
「みんな合体したら、障害なんかなくて、
普通のひと、以上に、なれるんじゃないか?
合体してよ!」と言われますが、
それは、得意な部分を言っているのだろうけれど、
苦手な部分、重い障害や酷い病的な部分も合わさることになり、表世界に出たら、即死だと重います。
でも、上手く混ざれば、合体なんかするよりも、
普通のひとに、近く、なれるんじゃないか。
実際、今、混ざっていて、誰が出ているのか、
誰がこの文章を書いているのか、
混ざって生きてゆく、と決めたので、
もう誰が誰だか、わからないです。
でも、僕らは、普通になりたい、と決めたのです。
自宅、親、からの自立。
社会からの自立。
人格をあえて普通に見られるようにちょっとずつ、混ぜ合わせて、元の人格は入れ物にして、特性も、性格も、話し方も、動きも、普通のひとのように、変えていきました。
あんが成長した、っぽく生きてねー、と、
無理矢理、人体改造をしました。
後悔はしていません。
それが一番、周りが、自分といて幸せだと信じて。
普通に友達を作って、結婚して、子どもを育てて、
その上で、世界的なアーティストになりたい夢。
叶えてみせます!
最後に。
noteに投稿するときに、僕、や、私、や、
書いたひとが違うような言葉や文章があります。
他の人格の、中の子についての話も書くかも
しれません。
僕らの詩や、絵や、コラムや、その他の創作作品は
自分の中の他人格、を、まずは元気にしてあげたくて、書いていたのが始まりでした。
それが、現実世界の他のひとが、共感して、元気になってくれたらと、目的はそのためになりました。
自分が辛いときにかけて欲しい言葉で、
きっと、あの子も、救えるかな。
そうだといいな、と、言葉を紡ぎます。
共感できない、ハズレがあるときも、あります。
でも、懲りずに、投稿を見てくれたら、嬉しいな。
長々となりましたが、ありがとうございました。
明日は、自分が、重度知的障害と出たのに、どうして文章を上手く書けるのかの推測、について書こうと思っています。
最後まで、ありがとう!