夏休みの振り返りは、ないものねだりの I Want You【こころのままに、とりとめもなく(8)】
このnoteを書いている今日、8月31日は、昨年までの私にとって、ウキウキが止まらない日だった。
なぜって、こどもたちの夏休み最終日だから。(今年は9月1日が日曜なので例外ですが)
今年もウキウキする気持ちは多少あるけど、止まらないほどではない。この時点で「やめられない、とまらない!」あのお菓子を食べるときのウキウキに負けている。
ウキウキが減った分、(といいつつ文中では4回目の「ウキウキ」登場、多すぎる)ホッとする気持ちが大きくなったようだ。
なんだろう、今年は、夏休みの印象がガラッと変わった。
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変わった理由は、わかっている。こどもたちの進学だ。
この春、中学校に入学した息子。小学生のときは、友だちと遊ぶ以外の予定がなかった。数年前から出校日もなくなり本当に予定が皆無だった。
同じくこの春から高校に進学した娘。中学時代は文化部で、夏休みの活動はほんの数日しかなかった。
一方、野球部に入部した今年の息子の夏休みは、週4で練習。練習があってもなくても、午後は友だちと遊ぶから、ほぼ家にいない。
娘はあいかわらず文化部で、夏休みの活動はゼロ。それでも、学校で行われる夏期講習に参加したため、10日ほどは登校した。
夏休みに、こどもたちが家にいない時間がグッと増えた。それだけで、気持ちの中から窮屈さやイライラが減ったように思う。
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窮屈さや「暇〜、どっか行きたい」攻撃からだいぶ逃れられた一方で、あらたな困惑がいくつか生まれた。
そのひとつは、こどもたちの帰宅時間が不規則になったことが原因だろう。
息子の午前練習は必ず延長した。予定の時間を1時間過ぎても帰宅しないので、途中で倒れてやしないかと通学路を見に行ったこともある。
時間通りに物事が進まないのが苦手な私にとって、時間のズレは大きな不安のもとになる。
また、娘の帰宅は13時前後。一人だけ、別の時間にお昼ごはんを用意しては出し、片付ける。
休みの日は、昼前になってやっと起きてくることも多い。朝食がいったりいらなかったりするのにも困った。自分で用意してもらうにしても、食材の要不要問題があるのだ。夏は特に傷みやすいからね。
家事の二度手間も困惑のひとつでしょう。
さらに、交友関係や行動範囲が広がり、それぞれ夜のイベントへ参加するなど、帰宅するまで心配な日も増えた。酷暑で熱中症の危険度が高かったのも不安をあおった。
こどもの成長がうれしい反面、気苦労が増えたのだ。
だから、夏休みの終わりに、やっと平穏な日常が戻ると、ホッとする気持ちになったのだろう。
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さみしい思いがあるのも昨年までの夏休みと違う。
一緒に出掛けて楽しんでいたプールは運転手役、花火や盆踊りはお留守番担当になった。
一緒にいたらいたで、うるさいし面倒だと思うのに、いなければさみしいのだ。
ないものねだりにもほどがある。
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きっと、子育てには、ずっとないものねだりがつきまとう。
となりの子が、先に歩き出すのをみたときだって、偏差値の高い学校に合格したときだって。
成長の遅れを嘆いていたと思えば、SNS上に投稿された赤ちゃんの写真をみては「あの頃はかわいかった」と過去を懐かしがる。
比べるつもりはなくても、いつのまにか比べているのだ。
自分の子をほかの子や過去の自分と比べ、自分の子育てをほかの家庭の子育てと比べる。
比べしまうのは仕方ない。そのときの思いを外に出さないことが大事なんだと思う。
そして、ちょっとくらい成長が遅くても、勉強ができなくても、家の手伝いをしなくても、ぽっちゃりでも、やせっぽっちでも、どんくさくても、やっぱりキミが好きと思えればそれでいい。
ないものねだりしても I Want You なんだ。