感想『エンバーマー 心とご遺体を修復するために僕がしてきたこと』橋爪 謙一郎
エンバーミング・・・遺体に防腐処理をして化粧を施す技術(本書より)
著者は、グリーフサポート、エンバーミングにおいて、日本第一人者である橋爪謙一郎先生。
日本におけるエンバーミングの位置づけ、エンバーミングの手順、橋爪先生がエンバーマーになった経緯、日本での取り組みが分かりやすく綴られています。
橋爪先生は、元々葬祭業のご家庭に生まれ、お父様がご遺体やご遺族の為に尽くす姿を見て育ったそうです。
年をとるにつれ、疑問や反発を覚えたことも一度や二度でなかったこともお話しされています。(思春期あるあるです)
大手企業で働いている時に、お父様からアメリカのエンバーミング技術の話を聞き、渡米。
語学学校を経て、葬儀大学へ入学します。当時は、大学創立以来初の日本人留学生だったそうです。
凄まじい量のカリキュラム、レポート、小テスト、期末テスト。そして、授業中の積極的発言。
もちろん全て英語。無断欠席や授業態度の悪さ、服装のだらしなさを指摘されればペナルティ。
入学は易く、卒業は難しく。
日本の大学もこのようなシステムであれば、私も生きやすかったのに、と関係ないことを思ってしまいました。
英語ネイティブではない橋爪先生は並々ならぬ努力を重ね、トップクラスの成績で卒業されました。
その後、徒弟制度を利用し、葬儀会社で経験を積み、努力の末、フューラルディレクター(アメリカの国家資格。葬祭業務につくにはこの資格が必須)の資格を取得。
その後、日本でエンバーマー養成学校の創立、グリーフケア(喪失にともなうケア)の普及に尽力されています。
私はこの本を読み、エンバーミングやグリーフケア(グリーフサポート)の必要性を強く感じました。
私は、死や葬儀に関して長年疑問に思っていました。
「親の死に目に会えず仕事に邁進した」が(主に男性の)美談として語られる反面、「親の葬儀にも来ず親不孝者」「葬儀をきちんとしないと恥ずかしい」等、論理的説明のつかない理屈の数々。
「親の死に目に会えない」と「親の葬儀に行かなかった」はほぼ同義なのに、美談で語られることもあれば、陰口をたたかれることもある。この違いって何?普段の接し方の違い?生活態度の違い?ジャッジする人は、亡くなった方とご遺族がどんな関係を築いていたか二十四時間監視しているの?
私の実体験です。祖母の葬儀の際、父が寝る間もなく葬儀のアレコレをやっていた時、ある人が言った言葉「恥ずかしくないようにきちんとやってもらわないと」
誰が誰に対して恥ずかしいのか、その恥ずかしさがあなたの今後の人生に何か関わって来るんですか?恥ずかしくないようにしたければあなたが先頭に立ってやれば?
そもそも遺族が亡くなった方へ思いを寄せる間もなく、時間に追われるように葬儀を行い、火葬するのは後々心に傷を残す。痛みに耐え忍び、日常を送ることを美学とする精神は、更に傷口を悪化させる。
エンバーミングを施したご遺体を前に、さよならを言うことで、死を受け入れて前に進むことが出来る。
美学を体現出来る人間は物語の中だけです。
それに、遺体を衛生保全処置をすることで、遺体からの感染を抑え、医療関係者や葬儀関係者の身を守ることも出来ます。
エンバーミングに関する法律が制定され、世の中の理解が深まることを望みます。
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