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チェチェン戦争はウクライナ戦争の出発点
二〇二二年二月二四日、ロシア軍によるウクライナ全面侵攻のニュースが飛び込んできた。その瞬間、私は、二八年前に始まったチェチェン戦争を思い出し、その当時から現在にいたるまで起きた出来事の数々が、ビデオを高速で巻き戻すかのように蘇ってきたのである。
なぜなら、ソ連崩壊で政治も経済も精神的にも混迷を深めたロシアが、かつての大ロシアの栄光を求めて暴走し始めたのが、チェチェン戦争だからだ。その延長線上にウクライナ戦争があるとも言えるだろう。
ロシアからの独立を求めて戦っていたチェチェンのジョハル・ドゥダーエフ大統領は、世界が少数民族のチェチェン人虐殺から目をそらしていると憤り、やがてロシアの矛先はウクライナをはじめヨーロッパに向かうだろうと断じた。
さらに「そのときになってヨーロッパを始め、世界は事態の深刻さに気付き、あわてふためくだろう」と一九九五年末に“予言”していたのである。
ウクライナ侵攻へむかう出発点ともいえるチェチェン戦争のルポが、「カフカスの小さな国~チェチェン独立運動始末」(小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞昨作品、一九九七年)だ。本書は、その増補改訂版である。
一年間の新婚旅行のつもりで、私と妻は一九九五年一月にモスクワへ渡った。何の運命なのか、ロシアに着いて一か月あまりのうちに、偶然の出会いがいくつも重なった。
チェチェンに動員されたロシア兵の母親たち、モスクワに住むチェチェン人たち、反戦活動にたずさわる日本人やウクライナ人僧侶らだ。彼らが実行したモスクワからチェチェンの首都グローズヌイへの平和行進に同行し、初めてチェチェンの土を踏んだのである。
当時の人口は八〇万人で面積が岩手県と同じチェチェンにロシアの大軍が攻め込んだのだから、その破壊と虐殺はすさまじかった。その最中で様々な人と知り合い、彼らと同じ屋根の下で過ごし、同じものを食べ、危険や恐怖をともにして、チェチェン中を駆け回った見聞録が本書である。
人口の一割が犠牲になった末、世界の予想を裏切るかのように、チェチェン側の実質勝利で和平協定が結ばれた。破壊されつくした国土と大きな傷を抱えながらも、平和で新しい時代に向けてチェチェンの人たちは歩み始めた。
それを見届けて私は、「彼らのことは決して忘れない。いつか必ずチェチェンに戻ろう」と心に刻み、国境を超えたところで旧版は終わっている。
しかし三年後の一九九九年八月一六日、FSB(連邦保安庁)長官だったヴラジミール・プーチンは、エリツィン大統領から首相に指名された。それにより、束の間の平和は完全に破壊された。第一次チェチェン戦争で負けた復讐のために彼は第二次チェチェン戦争を起こしたのである・・・。(以下略)
本書「はじめに」より。
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