見出し画像

痴漢冤罪に遭い、自ら生命を絶った原田信助(享年25歳)さんの墓参りに行ってきた

 今朝、25歳で他界した原田信介の墓参りに行ってきた。11日は彼の月命日であり、お盆も近い。

 彼が巻き込まれた事件は、以下のとおりである。

謎だらけの「新宿署 痴漢冤罪・暴行・自殺事件」とは

 2009年12月10日午後11時ごろ、念願かなって転職した職場の歓迎会からの帰宅途中、原田信助さんがJR新宿駅の階段を上り始めたところ、直前にすれ違った女子大生が「いまお腹を触られた」と言い、連れの男子大学生2人は信助さんを背後から突き落とし暴行した。

 信助さんは携帯で110番通報し、かけつけた警察官によって交番に連れて行かれ1時間半聴取、さらに新宿警察署に任意同行された。暴行事件の被害者として話を聞いて貰え助かったと思ったら、痴漢事件の被疑者としての取り調べが数時間に渡って行われたのである。

 女子大生の証言と信助さんの服装が違うことなどから、「痴漢の事実がなく相互暴行として後日呼び出しとした」「乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であると判明」と新宿署は「110番情報メモ」を記録し帰宅を許した。

「痴漢の事実がなく相互の暴行事件として調べる」旨が書かれた110番情報メモ

 信助さんは、翌朝早く新宿署を出て地下鉄東西線の早稲田駅に向かい、列車に飛び込み帰らぬ人となった。

 その時点では、被害者とされる女性の被害届も供述調書もなく、信助さん本人の自白調書もなかったのに、警察は彼の死後に急遽調書を作成。

 彼の死後の2010年1月29日、痴漢容疑(東京都迷惑防止条例違反)で検察庁へ書類送検(本人死亡のため不起訴)したのである。

 母親の原田尚美さんは2011年4月26日、東京都(警視庁)を相手取り、1000万円の国家賠償請求訴訟を提起した。

疑問と謎だらけなのに遺族の敗訴が確定

 新宿署が検察に送った膨大な証拠類が裁判所に提出されたが、供述内容が変遷していたり、あたかも信助さんが生きているかのような供述内容になっている。

 また、男子学生の一人は鼻骨骨折し鼻血が出たというが、服装の乱れも血痕もない事件直後のカラー写真も提出されている。複数の事件目撃者が語る人物とまったく違う風貌でもある。

 このほか、事件発生時刻の監視カメラ映像が最後まで裁判所に提出されなかったなど、誰が見ても疑問と謎だらけの事件であった。

 にもかかわらず、裁判で故人の母・尚美さんは敗訴した。

・東京地裁判決 2016年3月15日 請求棄却
・東京高裁   2017年5月18日 控訴棄却
・最高裁    2017年11月16日 上告棄却

彼の好きなチューリップがなく、かすみ草とカーネーション

 最高裁で上告が棄却されて7年近く経っても、かたときも忘れることのできない事件だ。取材で関わっただけの私ですらそうなのだから、母親の尚美さんの心中は察するに余り有る

 それよりも、当事者の原田信助さん本人が何より無念だろう。そんな思いが沸き上がり、久々の墓参となったのだ。

 墓地近くの生花店に立ち寄って、彼が生前好きだったというチューリップを探したが、さすがにこの真夏に無理だった。

 そこで、かすみ草と淡いピンクのカーネーションを買って手向けた。

この事件と裁判の全容を記録に残したい!

 この事件では、取調べを録音した音声が残っている。釈放されてから、駅で飛び込む瞬間までの音声も残されている。

 私はたまたまこの事件を知り、関わってから14年。故人の気持ちが少しでも癒えるように、事件の一部始終を記録に残し世の中に伝えたいと、ずっと思ってきた。

 一部のことは、ネットメディア「マイニュースジャパン」などに書いてきた。いま、その全容を世に伝える必要があるとあらためて思っている。

 しかし、うまくいかず考えあぐね、ずるずると時が過ぎてしまった。書いて記録するのがとても難しいのだ。7割~8割まで書いてその後が、まったく進まない

 だが、そんなことは言っていられない。知ってしまった以上は書かなければならない。

 ずっと心の中から離れない事件。膨大な取材資料や裁判資料が、ときどき夢の中に出てくるほどである。

 こうして、誰でもが閲覧できるネット上で書いてしまったから、もう逃げられない。

 とりあえず今晩は、原田信助さんが好きだったエビスビールでも飲んで、ぐっすり眠ろう。

 


いいなと思ったら応援しよう!

Hayashi Masaaki 林克明ジャーナリスト
いただいたサポートは、記事をより充実させるため、また「自分と周囲と社会全体の幸せを増やす」という残りの人生の目的を達成するために使わせていただきます。