痴漢冤罪で自死した青年の命日。母親の原田尚美さんと6年ぶりに再会
ずっと長いこと気になっていた。
最後にお会いしたのは2018年だったと思う。ずっとご無沙汰してたのは、それなりに理由がある。
「以下に示すような事件が埋もれないように、人々から忘れ去られぬように事件の全容を原稿に書いて世に問いたい」と原田尚美さんに告げたのだが、その約束を果たせずにずるずると時が過ぎてしまったからだ。
やるやる詐欺、書く書く詐欺になっているのだから、合わせる顔がない。そんな思いですごしてきた6年間だった。
書くのがものすごく難しのである。といっても分量的には、すでに八割がたは書いてある。その事件の概要は以下のとおり。
事件の概要
2009年12月10日午後11時ごろ、念願かなって転職した職場の歓迎会からの帰宅途中、原田信助さん(当時25歳)がJR新宿駅の階段を上り始めたところ、直前にすれ違った女子大生が「いまお腹を触られた」と言い、連れの男子大学生2人は信助さんを背後から突き落とし暴行した。
信助さんは携帯で110番通報し、かけつけた警察官によって交番に連れて行かれ1時間半聴取、これで助かったと信助さんは思っただろう。
西口交番から彼は新宿警察署に任意同行された。暴行事件の被害者として話を聞いて貰え助かったと思ったら、とつぜん痴漢事件の被疑者としての取り調べが数時間に渡って行われたのである。
その取調べの様子はICレコーダーに記録されている
女子大生の証言と信助さんの服装が違うことなどから、「痴漢の事実がなく相互暴行として後日呼び出しとした」「乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であると判明」と新宿署は「110番情報メモ」を記録し、帰宅を許した。
信助さんは、翌朝早く新宿署を出て地下鉄東西線の早稲田駅に向かい、電車に飛び込み帰らぬ人となった。
その時点では、被害者とされる女性の被害届も供述調書もなく、信助さん本人の自白調書もなかったのに、警察は彼の死後に急遽調書を作成。
彼の死後の2010年1月29日、痴漢容疑(東京都迷惑防止条例違反)で検察庁へ書類送検(本人死亡のため不起訴)したのである。
母親の原田尚美さんは2011年4月26日、東京都(警視庁)を相手取り、1000万円の国家賠償請求訴訟を提起した。
目撃者が語る人物とまるで違う写真が裁判に出された
新宿署が検察に送った膨大な証拠類が裁判所に提出されたが、供述内容が変遷していたり、あたかも信助さんが生きているかのような供述内容になっている。
肝心の女子大学生に警察官が話を聞くと、ぜったいこの人(原田さん)とは言い切れない、あるいは彼女がはっきり答えられずうやむやになってしまうという旨の捜査報告書も残っている。
また、男子学生の一人は鼻骨骨折し鼻血が出たというが、服装の乱れも血痕もない事件直後のカラー写真も提出されている。
当時、私は複数の事件目撃者を取材したが、彼らがが語る人物とまったく違う風貌でもある。これは私が直接取材した目撃者だけでなく、母親に直接メールを送ってきた人物の証言とも食い違うのだ。
このほか、事件発生時刻の監視カメラ映像が最後まで裁判所に提出されなかったなど、誰が見ても疑問と謎だらけの事件であった。
にもかかわらず、裁判で故人の母・尚美さんは敗訴した。
・東京地裁判決 2016年3月15日 請求棄却
・東京高裁 2017年5月18日 控訴棄却
・最高裁 2017年11月16日 上告棄却
「息子からの伝言」という残された母親が書いた手記も
この事件は、「マイニュースジャパン」とうニュースサイトに6回ほど記事を書いたことがある。
しかしこれだけでは事件の全容を描き切れない。そこで私は少しずつ、最初から裁判資料を読み込み、ひとつひとつ確認していった。
昔の息子との思い出や、事件に関することについて母親の原田尚美さんはブログで「息子からの伝言」という文章をしたためている。
その全文も提供していただき、裁判資料や私自身の取材も加味して、少しずつ原稿を書いている。
裁判としては最高裁までいっても原田尚美さんの訴えは棄却されて終わっている。しかし、一部始終を書かなければ、誰からも忘れ去られ、「なかったこと」にされてしまう。
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