「息吹肇第1エッセイ」構成案
アメブロには書いたのですが、文筆家の橋岡蓮さんから、今まで書いたブログをまとめて、1冊のエッセイ集にして自費出版(電子書籍)したらどうですかと提案をいただきました。僕もそれは面白そうだと乗り気になり、同時に蓮さんも、新作に取り掛かることになったのです。
蓮さんは、新作のコンセプトとタイトルを決め、来週にもデザイナーさんと装丁の打ち合わせをするとのことですが、僕はまだ自分の本の構想すらまともに練れていません。ちょっと焦りを感じています。そこで、折角のnoteですから、ここでエッセイ集の構想の下書きみたいなものを作ってみたいと思います。現時点で考えていることですし、実はまだ自分のブログの文章を全て読んではいないのですが、とにかく着手することが大切だと思いましたので、何となくのイメージを書き殴ってみたいと思います。
序章
読み手に、僕が何者かをできるだけ簡潔に、しかも、この先を読んでみようかなと思わせるように紹介する部分です。
アメブロの最初の文章よりは、このnoteに書いた最初の文章で、巻頭に固定してある記事「柿沼直樹と息吹肇の相違点」(2018年10月30日)がこの本の「序章」には適切であるように思います。ただ、「まえがき」にするには長いので、まえがきはおそらく最後に書き下ろすことになるでしょう。
僕の(息吹肇としての)演劇活動
あくまでもエッセイ集ですので、自叙伝を詳細に書くつもりはありません。序章を読んでいただければ、僕の現在地と、過去に起きたことのあらかたは分かっていただけると思うのです。
僕から演劇を取ったら、殆ど何も残らないというのが実態ですから、僕を全く知らない人が読む場合でも、やはり演劇の話から始めざるを得ません。とはいえ、アメブロの初期は、僕は演劇には拘らず、社会問題や自分の内面等についても書きまくっていましたから、それを入れるか入れないかで、全体の構成はかなり変わってきます。
あまりいろいろ入れすぎると、とっ散らかった印象になってしまいますので、やはり演劇活動を中心にするのがいいでしょう。演劇活動を通じて、世の中を見たり、自分自身を省みたりしているのですから。
「事業」としての演劇活動を求めて
しかし、同じ演劇活動にしても、2016年12月のFavorite Banana Indians第9回本公演を行った後、本格的に芝居でやっていくという方向性が定まり、「Hajime Planning」を創設して演劇を「事業」として行っていくことを決めた前と後では、少し違ってきます。Hajime Planningとして確定申告をしたり、金融機関に足を運んだりといった活動の中で、自分の心構えも変わりましたし、出演して下さる役者さんの顔ぶれも変わりました。
エンターテイメントを事業にすることの難しさを、僕はこの4年数ヶ月の間に学んできました。正直、大失敗したこともあります。そこに、コロナ禍が襲いかかってきました。
2021年2月末日現在、まだ新型コロナは完全には封じ込められてはいません。今後の活動がどうなってしまうのか不透明なままで、この章は閉じざるを得ないでしょう(実際にいつ執筆するかによると思いますが)。
アイドル・音楽劇へのこだわり
この部分は、クリエイターとしての僕のコア(核)になる部分ですので、別に章立てした方がいいのではないかと思っています。
とはいえ、僕は熱いアイドルファンの人達ほどは、アイドルに入れ込んでいるわけではありません。ただ、「アイドル」という存在の不思議さや独特の在り方に関しては、かなり以前から関心を持っていました。それはおそらく、大学時代に「アイドル工学」(ちくま文庫)という著書がある稲増龍夫先生から講義を受けたことに起因しています。
考えてみると、僕が1989年に初めてプロデュース公演を行った時の脚本「ガラスの靴を脱ぎ捨てて」で、既にアイドルを主人公にしています(ただし、この時のアイドルは、テレビが見せる虚構の世界にのみ存在しているという設定でした)。この頃(80年代)は、アイドルは本当に「作られたお人形さん」というのが一般の認識でした。
その後、秋元康プロデュースのAKB48の「会いに行けるアイドル」というコンセプトが登場し、この頃から所謂「地下アイドル」(ライブアイドル)が全盛になります。ライブアイドルは、その性質上舞台表現と親和性があり、地下アイドルがこぞって出演するガールズ演劇が登場。現在に至っています。そこに僕も、ある意味参戦しているわけです。
このあたりのことを、少しまとめて触れておくと、僕の演劇表現を理解していただく上での「補助線」となります。元々マニアックなファンではないので、「アイドルなんて…」という人に向けても、分かりやすく書けるのではないかと思います。
音楽(歌)に関しては、僕はそれこそマニアではありませんので、そこまで深くは書けないと思いますが、「何故ミュージカルではなく、音楽劇なのか?」についての説明はしておいた方がいいでしょう。ミュージカルが苦手な人も、ミュージカルが好きな人も、どちらも取っつきやすい形態でやっているつもりですので、その観点から「音楽劇」について語るのもいいでしょう。
おわりに(または、あとがき)
この部分も、他の章が全てできあがってから書きます。今は何を書くべきか、全く思い付きません。
以上が、ざっと構想している内容です。
蓮さんの新作に比べて、核になるものというか、何を読者に届けたいのか、そもそも、ターゲットとしているのは誰なのかが、見えるようで見えません。
繰り返しになりますが、僕から演劇をとったら何も残らないので、結局は、演劇やクリエイティブな活動をしている人向けの内容にならざるを得ないと思います。
その意味では、蓮さんの新作よりは、読者層が限られてしまい、内容的にもあまり普遍性はないのかも知れません。
ただ、こういう生き方もある、または、こういう創作の仕方もあるといった例示にはなります。読んだ人が元気になるとかポジティブに生きられるようになるとか、そういう分かりやすい「効能」はありません。強いてあげれば、同じようにクリエイティブの場で頑張っていて、壁にぶち当たったり、苦しい思いをしたりしている人への、何らかのヒントが書かれているものになればと思います。それも無理なら、せめてそういう人達への「連帯」を表明するものになればいいなと思うのです。
さらっと書くつもりが、意外に長くなってしまいました。
この構成案を採用するか否かは未定ですが、少なくとも、これを書くことによって、頭の中が少し整理されました。アメブロ等の実際の過去記事を読んで、これに当てはまるかどうかを検証していきたいと思います。
途中経過はまたこちらに書きますので、首を長くしてお待ちいただけますと幸いです。
(写真 松永幸香)
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