映画レビュー(182)「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
連邦政府から19もの州が離脱した近未来のアメリカ。
テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。
冒頭、「国民の皆さん、我々は歴史的勝利に近づいている——」。就任 “3期目”に突入した権威主義的な大統領はテレビ演説で力強く訴えるが、実際にはワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。
ニューヨークに滞在していた4人のジャーナリストは、14ヶ月一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うため、ホワイトハウスへと向かう。この旅路の行程が物語である。
戦場と化した旅路を行く中で出会う、「内戦の恐怖と狂気」こそ、リアルタイムに世界中でおきていることである。この作品の主目的は、アメリカ国民をはじめとする平和な国内住む人たちに、分断して内戦中であるとはどういうことかを肌で知らせることなのだ。
戦争に乗じて国民を二種類に分け、自分の認めないアメリカ人(非白人)を私刑紛いに殺していく連中。
映画の中ではどちらも同じ軍人で見た目の差はない。それが怖い。さらに、では主人公たち戦場カメラマンは正義なのかと言えばそれも違う。よりエキサイティングな写真を撮ることにのめり込み、興奮して盛り上がる。まるで中毒の様に。新人のカメラマンが成長する物語でもあるが、その成長は感覚を鈍麻させていく過程でもある。
淡々と描かれる物語には、正義も悪も、白も黒もない。そういった「相対化した視点」こそが実に素晴らしい。
この作品、戦う双方の政治的主張やスローガンなど一切出てこない。大統領側がうっすらとトランプっぽいのだが、決して西部勢力がきれいなわけでもない。対話を要求する非武装の大統領補佐官などの敵側文官を、問答無用で射殺していき、エンドロールでは倒した敵の前で記念写真を撮っている。
平和ボケした我々に、国が分断して内戦になるとはこういうことだぜ、と突き付けているのだ。
大統領選挙の前で、この映画を挟んで米国は揺れているらしいが、内戦で戦うということは、「我々は、対話で決着がつけられなかったバカ国民である」ということに他ならない。
だが、これは決して他人事ではない。わが国でもいるではないか。「意見を通すためには暴力や革命もやむなし、首相だって暗殺するぜ」という勢力が。
そして、いったん生まれた憎悪は次々と連鎖していく。中東を覆う戦争は正にそれなのだ。