1700字シアター(2)「鬼ころし」の中の人

(2021/01/15 ステキブンゲイ掲載作品)
 鬼ころしとは、日本酒の銘柄で、鬼のように頑健な男でも酔いつぶれるほど純度の高い酒という意味で、全国各地の蔵元で製造販売されている。
 尾張酒造もそんな蔵元の一つであった。今、その宣伝部で俺は部長の平田と対峙していた。
 尾張酒造は俺の勤務する東海アドの古くからの顧客の一つだが、予算に渋いことで社内でも有名なクライアントだった。
 平田が言った。
「ねえ、例のマンガ、巧く利用できない? 鬼繋がりでさあ」
 例のマンガとは昨年から爆発的に流行して社会現象にまでなった「鬼●の刃」のことである。
「タイアップ料は先日お伝えしましたが」
「あんな大金ある訳ないじゃん、うちに。正規のルートで頼むなら、お宅より力のある電●とか●報堂に頼むよ」
 だろうなと思った。
「じゃあ、無理ですよ。権利問題になりますもん」と冷たく言うと、
「最近、うちの鬼ころし、清洲や半田のメーカーに押されてるんだよなあ。来期の広告予算削っちゃおうかなあ」と平田は聞こえよがしに呟いた。
 そ、それは困る。ええいままよ、一肌脱ぐかと思った。
「じゃ、奇策でいきましょうか」
 おお、と前のめりになった平田の顔がほころんだ。
「御社の鬼ころし海外で売ってますよね?」
「台湾で少々だけど」
「じゃ、海外の消費者向けに、鬼ころしの名前に英訳のルビを振りましょう。デモン●レーヤーと」
「お、あの作品の英語タイトルやん!」
「ルビですけど大きくね。で背景にはあの市松模様を敷く」
「なるほど」
「でもこれ以上はやりませんよ」
「うむ、で広告は?」
「●イッターだけです。やってますよね御社でも」
「あんまり呟いてないけど、一応私が中の人だ」
「じゃ呟いてください。
海外向けにパッケージや宣伝物にルビ振りました。あのマンガとは関係ありません、と」
 俺は念を押すように、
「必ず、あのマンガ、であって具体的なタイトルやキャラの名前も出さないように。このセコさと、ちゃっかり感で、消費者からは苦笑いで許してもらうという、高度なマーケティングです」
「もし、クレームが来たら」
「関係ありませんで突っぱねます。だからこそ●治郎とか●豆子とかの名前も出さない。例のテーマパークをネズミの国と呼ぶようにね。
間違ってもオマージュですなんて言わないように」
「綱渡りだ」
「一度クレーマーから指摘があった後は、素早く、私も読んでみました、面白いですねファンになりました、というスタンスに切り替えます」
「ほお、」と平田。
「平田さん、中の人として頻繁に呟いてくださいね。参考にこれを」と言って俺は鞄の中から「宣伝会議」のコピーを出した。
「ちょうどSNSを利用したマーケティング事例が出てますので、」
 平田はそれを拾い読みして、
「なるほど、中の人の機転と対応だけで、炎上を防いでいるんだなあ」と言った。
「御社の創業は確か」
「大正二年だよ」
「よし、大正グッズならいけるな」
「君、楽しんでない?」と平田。
「やばいことほど燃えるのが広告マンですよ」と答えたが、ちょっと面白くなってるのは確かだ。
 この部長に「中の人」を演じられるとは思えなかったが、そこまでは知ったことか。
「じゃあ、新しいパッケージができたところで広告写真など差し替えますから」と言うと、
「さすがだ。やはりそれなりにコンサル料払うことにする」と平田が言った。
「いえ、お金はいりません。来期の予算で結構です」
 俺は強く断った。はした金のようなコンサル料でリスクを背負うのはまっぴらだ。
「そういう控えめなところが好きなんだ」
 照れ笑いを浮かべながら、俺ってタヌキだなと思った。

 翌日、上司に呼ばれた俺は、会社に尾張酒造から正式に依頼が入ったことを知った。
「平田さんが、鬼ころし販促のツイッターの中の人を君に依頼してきた。君しかいないって、すごいプッシュでねえ」
「それ、まずくないですか?」
「向こうはもうその気だよ」
「はあ、」と苦笑いを浮かべながら、俺は自分がトカゲのしっぽにされたことを悟った。尾張酒造のリスク回避であろう。
 平田は俺よりもっとタヌキだったのだ。

※この物語はフィクションです。

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