映画レビュー(206)「妖星ゴラス」(1962年東宝)

 午前10時の映画祭14で鑑賞した。近年の中国映画「流浪地球」の元ネタこれかもね。
 この62年の東宝作品は原案に手塚治虫が絡んでいるだけあって本格的なSFである。隕石や彗星でなく、黒色矮星を持ってくるところが心憎い(by 元天文部の俺)
 内容は今更詳述はしないが、地球への衝突軌道を進んでくる地球の重力の6000倍の黒色矮星から地球自体の軌道を変えて回避しようとするスペクタクル巨編である。
 何より凄いのはデジタル技術がない時代のミニチュアワークだ。南極基地の建設風景は、それだけでも見る価値大。
 ただ時代が時代だけに宇宙の描写は貧弱だ。ガガーリンによる初の有人宇宙飛行が、61年なのだ。この映画公開のまさ1年前。宇宙から観た地球の姿や宇宙空間の様子はまだ想像上の描写で、貧弱極まりない。
 作品の舞台は1980年代ということになってるけど、当時の人はここまで開発が進むと夢見ていたんだろうなあ。
 このSF的な描写のすごさ、新規さと比較して、なんとも残念なのが日常の描写。当時の邦画の特色である泥臭さ、垢抜けない演出や脚本が何とも観ていて痛い。旧軍さながらの宇宙パイロット達、そして彼らの歌う宇宙パイロットの歌の時代錯誤感。とはいえ当時の1962年なんて、日本全国の盛り場に軍隊経験のある中年向けに「軍国バー」が存在した時代なのだ。(そんな軍国バーの痕跡を2000年代初頭に岐阜市の西柳ヶ瀬商店街で発見して驚いた俺。これはまた別の機会に)
 当時、私はまだ四歳で劇場では観ていないが、その後、70~80年代に中学・高校・大学と進学しながら、邦画を洋画と見比べて育った。そして「邦画って何故こんなに貧相なんだろう」と痛感したものだ。そんな実写邦画の貧弱なセンスと比較すると、当時のアニメのセンスの何とスマートだったことか。タツノコプロの諸作品や、虫プロ制作「忍風カムイ外伝」等、センスが素晴らしかった。
 折しも洋高邦低と言われた邦画低迷時代。日活の経営低迷、大映の倒産などが話題になった。実はその時代を観客として過ごした若いクリエーターが80年代頃から、センスのいい作品を連発していく。CM業界から映画にやってきた大林信彦、「さらば映画の友よ」「ガンヘッド」の原田真人、そんな新しい血が出てきたのだ。そんな時代を思い出しながら観た。

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