本当に労働時間が問題なのか~〇通女子社員自殺問題
7年前の事件だが、報道に感じた違和感を記したBLOGの記事を採録した。
(2016/10/15 エキサイトブログ「読書記録゛」掲載)
この問題、新聞報道などでは「過労死」と報じられている。内容も「労働時間」の話題ばかり。大いに違和感がある。
やはり二十代の娘を持つ父親たる私は、子を失った親御さんの気持ちを想像すると、この問題に言及することすら申しわけない気持ちになる。だが、やはり、言わずにはおられない。
この問題、私は労働時間だけの問題ではないと思う。
初めての業務に際して、困ったり教えてほしいと思ったときや、間違えたりしたときに、上司や先輩や同僚から「東大なのに~」というようなハラスメントが、繰り返し繰り返しあったのではないか?
そのせいで、それが嫌で誰にも助けを求められずに一人で仕事を抱え込んでしまったのではないか。そのため、成果物が不十分になり、さらに「東大なのに」と言われたのではないか?
それを挽回するために、たった一人で仕事をこなそうとして労働時間が伸びたのではないか?
私は、以前の勤務先(広告会社)を「うつ」で退職している。その経験から判断すると、そこまで追い込まれると、周囲の者の「咳払い」や「溜息」すらナイフで刺されたような苦痛になるのだ。誰もそれに気づけなかったのではないか?
マスコミでは、労働時間、労働時間と問題にしているが、「社内のいじめやハラスメント」の問題を、「労働時間」問題に矮小化しようとしているのではないか?
問題をすり替えようとしているのではないか?
各メディアの広告扱いの半分近くを持つ広告会社とはいえ、天下の公器に、さすがに事件そのものを報道しないでとは、言えないであろう。
だからこそ、よりダメージが少ないように、「社内のいじめやハラスメント」の問題を、「労働時間」問題に矮小化しようとしているのではないか?
そんな警鐘を鳴らしたいが、そんな論者はマスコミ全体を見渡しても一人もいない。メディアにおけるコメント料や謝礼やギャラは、その原資が「広告料」だからなのか?