創作エッセイ(84)体験もまたインプット

 SNSの小説創作アカウント界隈では、インプットとよく言われている。
以前も書いたのだが、このインプット、読んだ本の冊数や、観た映画の本数で語られることも多いが、実はもっと大切なインプットがある。それは、会った人の数や働いたことのある職場など、体験のインプットだ。
 純文学やエンタメを問わず、小説とは人間を描くものだけに、人間観察や対人関係の体験は多いほどいい。
 しかし、漫然と数をこなしているだけでは見逃していることも多い。記憶にとどめるべき事は日記やメモなどで記憶に刻んでおこう。

 私は年に一回程度、地元などの自治体で「初めての小説の書き方」という講座を持つことがある。その際に書いていただく課題に「初めて~だと思ったこと」を2000字で書くというものがある。
 要は、「その体験の前と後で自分がどう変わったか変わらなかったか」を書くもの。
 例えば、「その時、絶対だと思っていた父親が、一人の男に過ぎない事を知ったのでした」とか「今までうれしかった母親からの褒め言葉が急に色あせた」という大人になった気づき。他にも「周囲のみんなから嫌われていると思ったけど、自分を一番嫌っていたのは私自身だった」という自己認識の更新、など。
 この自己認識更新体験を意識することで、自分を客観視する、感情に囚われず心の動きを省察するという作家目線が養われるのだ。

 すると、それを意識することで、様々なドラマや映画で、事件やストーリーの背後にこのようなキャラクターの「事件を通した認識の更新」が盛り込まれていることに気づく。それがドラマを盛り上げ、読者や視聴者を主人公達に共感させるのである。

 実は学校で散々書かされた読書感想文。これもその一種である。その本を読んで、その読書体験の前と後で何が自分の中で変わったか変わらなかったか。
 ただし、私の課題の場合は単なる作文ではなく「小説」である。読者にどれだけ伝えられるか、共感してもらえるかが問われる。「わかる」とう共感をどれだけ獲得できるか。これは読者の脳内イメージを意識しなければ書けない。小説作品で読者に伝えることはコミュニケーションなのだ。

 たくさん本を読んでおくのと同じぐらい、社会の中で人と会うことも重要なインプットなのである。そんな体験の際に誤解をされたり摩擦を起こしたりすることもある。つらいであろう。でも、それも貴重なインプット
 私も営業職で大勢の人と会っている。飛び込みセールスも珍しくなかった。そこで体験した多くのことが作品執筆に生きていて、今では「ええネタ、いただいた」感。
 私は会社員生活でうつになり、20年近く抗うつ剤でしのいできたが、53歳の時に会社を辞めている。しかし、その体験が実に活きている。
「うつのせいで会社を辞めざるを得なかった」という当初の気持ちが、今では、「うつのお陰で会社を辞めるきっかけができた」とまで感じている。
 人生、強かにいきましょう。
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