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August 27, 2023 広島訪問と読書感想文 Visit to Hiroshima and book report

8月最後の日曜日、松山観光港から船に乗り、広島へ向かいました。
目的の一つが、この日が最終日の『広島の記憶』展を見ることです。
原子爆弾投下前後を中心に、戦前から戦後にわたって、様々な写真や文章、絵などの記録を集めたものです。
広島への渡航を思い立ったのは、この夏の宿題の一つである読書感想文を書き上げる上で、取材をしたいと思ったからです。
題材に選んだ本は重松清 著『赤ヘル1975』。復興の象徴である広島カープ球団の躍進する時代を舞台に、転校生である主人公の奨学生が、被爆の爪痕の残る広島で生きる同級生や地域の人々の心情を理解しようともがき、やがて心を通じ合わせる小説です。
広島では、この夏「AIG高校生外交官プログラム」で、一緒に渡米した広島国泰寺高校のメイが案内してくれました。メイは、中国新聞のジュニアライターとして活動しており、原爆投下や平和活動について取材、研究し、同世代へ向けて発信しています。外交官プログラムでも、アメリカの高校生に対し、被爆の実態について知ってもらうための発表をしました。
僕の故郷の弓削島は、広島県との境にあるので、僕も小学生の時から、広島の平和記念公園や原爆資料館は、見学に行きました。
だから、原爆の恐ろしさはある程度知っていましたが、今回の訪問で衝撃を受けたことが二つありました。
一つは、原爆投下の直前まで、広島には現代に生きる私たちと同じように、普通の人々の暮らしがあったという当たり前の事実です。
もう一つは、原爆被害の実態をありのままに記録し、発信しようとした人々の存在です。
被爆体験者ではない私たちは、被爆者の気持ちや被爆の実態を厳密に理解することはできないかもしれませんが、しかし理解しようとすることはできます。
ほんの少しだけでも理解しようとする気持ちが、異なる立場にある者同士をつなぎ、相互理解を促す上でとても大切なことだということに、気づかせてくれた旅となりました。

[以下、作品掲載]
耀け、よそモン』 (~「赤ヘル1975」を読んで)
 愛媛県立松山東高等学校二年  兼頭 玄

「よそモンにはわからん。」
よそモンという言葉が棘のように引っかかる。戦争や原爆を教科書でしか知らない自分に対する負い目だろうか。よそモンには何もできないのかという苛立ちから来るのか。
 8月の終わり、僕は広島行の船に乗り込んだ。
訪ねたのは広島の高校生メイ。メイはあるプログラムで共に渡米し、米国の高校生たちを相手に互いの文化や社会課題について議論を重ねた仲間だ。広島の新聞社で原爆や平和活動について取材を続ける高校生記者でもある。メイは米国の高校生にも原爆の悲惨さについて語った。うまく伝わるか不安だったようだが、米国の高校生が彼女の伝えた事実に驚嘆、周りに話したいと応えたことで胸を撫で下ろした。メイは広島で育ったが、実際に原爆を体験したわけではない。彼女もまたよそモンとしてもがいているのだと気づいた。
 メイに案内されて訪れた美術館。「広島の記憶」展の最終日だった。原爆に関する資料はもちろん、戦前、戦後にわたる広島の姿を映した写真や絵、文章などを展示していた。
 原爆投下後の荒れ果てた街の様子以上に衝撃を受けたのは、戦前の広島の暮らしを映し出した絵や写真の数々だ。目にしたのは古今東西に通ずる活き活きとした日常の光景。
「広島は、特別じゃない。」原爆で焼かれる前の街にも、僕らの暮らしと変わらぬ日常があった。ひょっとしたら被災したのは僕らだったかもしれないし、米国に生まれていたら原爆投下を支持していたのかもしれない。それらは紙一重なんじゃないだろうか。
 ヤスの母ちゃんが、よそモンとしての葛藤に悩むマナブにかけた言葉が蘇った。
「いろんなことを思うてあげて。」
 ある体験をした者の気持ちを体験していない者が完全に理解することなどできない。でも想像することはできる。理解しようとして、学び、感じ、考えることができる。そして自分が感じ、考えたことを伝えることができる。
 展覧会で心を揺さぶられたことがもう一つ。障子紙やちり紙の切れ端に原爆の惨状を綴り続けた作家・大田洋子の存在だ。庄三さんがそうであったように、伝えたくても辛くて伝えられないこともあるだろう。でも伝えたいという思いは、大田洋子も庄三さんも変わらない。例え形にならずともその思いこそが相手の心に共鳴するのではないか。
 どうせ理解できないと諦めるのではなく、まずは違いをありのまま認め、違いを持つ相手との間に、ほんのちょっとでも共有できる何かを見つけること。どうせ理解されないと突っぱねるのではなく、伝えたいという思いを大切にすること。その一歩がやがて違いを越えて互いを繋ぐ糸になる。
 考えてみれば、生きている時間や空間が違う以上、理解し合えなくて当たり前なのかもしれない。広島育ちのメイが時間軸ではよそモンとなるように、大なり小なり誰も皆よそモン同士だ。マナブもまた転校ばかりの心情を他者には理解されないと諦めていた。周りは皆マナブにとってのよそモンであろう。
 そのマナブとヤスが「連れ」として心を通わすことができたのは、よそモンを克服して同化できたからでも、よそモンの論理がよそモン排除のそれを打ち負かしたからでもなく、よそもうちも関係なく一個の人間として相手に寄り添おうとしたからではないか。
 僕は渡米中、食べ残し廃棄される食糧の多さに衝撃を受け、米国の高校生に「なぜ廃棄するのか?」「どうしたら解決できると思うか?」と問いかけた。明解な答えはなかった。
 今思う。なぜ一方的に自分の問題意識を押し付けてしまったのか。客観的に見れば食べきれない量が配膳されることに問題はある。自分で量を調整できたり、予め量がわかったりするだけで廃棄食材は少なくなるはずだ。違いを認め、相手の立場を想像し、歩み寄るような解決策を提案したなら、もっと有意義な議論ができたのではないだろうか。
 将来、国際協力による国際課題の解決という志を実現しようとする中で、僕は同様の場面に幾度も遭遇するだろう。全く違う文化や価値観をもつ本格的なよそモン同士が協力し合わなければならない。自己の利害や価値観を主張するだけでは協力の土壌は生まれない。
 まずはお互いの違いを認め、相手の立場や思いに寄り添うこと。自分の立場や思いを丁寧に伝えようとすること。想像し、感じ、考える。「いろんなことを思う」ことで、完全に理解はできなくても、通じ合い、手を携えて共に歩むことはできるはずだ。
 よそモンであることに負い目はもう持たない。マナブがそうであったように、よそモンにはよそモンならではの客観的視点だって持つことができる。よそモンとしての誇りを胸に、よそモンとしての役割を果たしていこう。

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