あいまいな夜 ③
「ハンナさん、こんばんは。それと頼まれてた九条ねぎ」
「ああ、ありがとう、座って。何飲む?」
「えーと、じゃあ、あの北島ください」
「はいはい、ちょっと待ってね」
「で、どうかしたんですか?」
「あのさ、この前めぐみちゃんが1人で来たの」
「うん、それで?」
「あの子、その日はすごい飲んでね、閉店の時間だったんだけど、もうちょっといさせてくれって言っててね」
「ほう」
「仕事での不安とか、家族との事とか、ブワーって喋り出して、大泣きして抱きついてきて」
「あー....」
「私も疲れてて、全部聞いてあげられなくて、ごめんね、もう閉めるねって」
「うん」
「吹山くんを大事にしてね、吹山くんに抱きつけばいいって言ったんだけど」
「...はい」
「そんな事するなら死んだ方がマシだ!って言ってわんわん泣いてたの」
「ははは、ハンナさん最後の情報いらんで、笑」
「めぐみちゃん、大丈夫?」
「うーん、えーとね、そうだなあ」
めぐみちゃんはとても繊細な子だった。
場所や環境、他人の言葉や態度
そういったものに凄く敏感で
不安定な部分が多々あった。
人に優しくあるために、他人の心を察して
言葉を選んだり、接したりすることがとても上手な子だったが、
時として、それが自分自身を苦しめてしまう。
自分が扱う「言葉」というものが慎重で丁寧であるがゆえに、他人が扱う「言葉」というものに過剰反応してしまう。
相手が何気なく出した言葉であっても、
その言葉の温度や鋭さに気づいてしまう。
めぐみちゃんの持っている
心の器にヒビが入ってしまった時、
それを知らない人では到底受け止められないぐらいに感情が溢れ出してしまって...。
他人は無責任に、びっくりして
めぐみちゃんから離れてしまう。
「そんなんだと思ってなかった」と。
優しい子であるがゆえに、
繊細であるがゆえに。
そんな危なっかしいバランスで生きている子だった。
僕としては人のために
心を砕いて生きていくめぐみちゃんのそばで
少しでも楽になれる存在であれればと、
話したり、一緒に歩いたり出来ればいいなと
思っていた。
僕も、そうやって生きることの嬉しさと
それに付随する苦しさや悲しさ、寂しさみたいなものは
何となくわかるところがあったからだ。
「吹山くんって、そうじゃないと思ってた」
僕も、勝手に期待されて、勝手に失望されて
離れていく人を、たくさん見てきた。
馬鹿みたいに「めぐち」と呼んでみるのは、
僕といる時ぐらいは
言葉も何も考えなくていいよ。
という気持ちも込めてだった。
「吹山くんも、意外と大変だね」
「いや、めぐみちゃんに救われてきたのは僕の方なんで」
「大事にしてあげてね」
「そうですね、そう出来るようにします」
帰りの電車で
メールの着信音が鳴った。
「やまさん、今日落ち着いたら電話してもいいかい?」
「いいよ、家帰るの10時ぐらいになるからその時間でよければ」
言葉を間違うな。
めぐみちゃんから教えてもらった
言葉の温度や形。速度や角度。
あいまいな、見えない魔法の力で
あの子を守る番だぞ。
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