『蟻の兵隊:The Ants』:蟻と水俣病と残留孤児
初出;2007年3月28日(mixi)
今回のクリーブランド国際映画祭で観た映画の中で、圧倒的な存在感を示していたのが、この映画『蟻の兵隊;The Ants』だ。
投票で、唯一、最高の四つ星(Excellent:☆☆☆☆)をつけた。たまたま、この映画を最初に観たため、それを基準にすると、どの映画もそれ以下の評価しかできなかった。四段階しでしか、評価できないので、それが厳しいところだ。おかげで、それ程、わるい映画でもないのに、一つ星(Poor:☆)になってしまった作品もある。ちなみに、いつも写真を拾いに行く、アメリカのサイト、ザ・インターネット映画データベース(The Internet Movie Database;IMDb)では、評者の数は7人と少ないものの、10点満点中9.6点という、高得点をマークしている。9点が一人、残り六人が10点満点だ。
それくらい、インパクトの強い、映画だ。
ドキュメンタリー作品の場合、テーマと対象の設定が、その作品の正否を、90%以上左右する。その点、この作品のテーマと対象は、文句のつけようがない。
日本軍上官の命令によって、敗戦後も中国に残留して、戦闘を続けた、実在の日本兵たち。その存在証明かけた、現在の日本政府との、法廷闘争。そして、かつての命令を証拠立てるための資料探しと、自分の参加した戦争の現実を確かめるための、戦場となった村、被害にあった人々を、巡る中国の旅。
国のために戦いながら、国に棄てられた、棄民としての、軍隊。それが、この映画の主役である。80歳を超えて、なお明晰な頭脳と、鉄の意志を持つ、これら旧日本兵たちが経験した現実は、自らの戦争について、黙して語らない老人たちが、いかに現在の右翼的な風潮の、一つの温床になっているかをよく物語っている。彼ら自身が、日本国による、被害者であると主張することは、彼ら自身が、中国や他の侵略地域の人々に対する、加害者であると認めることでもある。
この棄民的な、「戦後」軍事政策は、大日本帝国の再興を目途とした、現実の政府による戦争政策であり、実は、中国残留日本人孤児の問題とも、共通する政策である。
私は、2年前、水俣病の調査を行う過程で、中国残留日本人孤児が日本政府を相手に起こした訴訟の、原告側弁護団の中心人物と会った。彼は、久留米の老練な弁護士だが、水俣病の被害者が起こした裁判で、初めて、日本国家の、政府としての責任を認めさせた弁護団の中心人物でもある。政府の加害者としての責任を認めさせるための、事実と論理を、彼と共に作った研究者が、私の大学院の恩師である。
その弁護士が、中国残留日本人孤児は、政府が国策として、生み出したのだと一つの資料を示してくれた。それは、中国に大日本帝国を再建するためには、多くの日本人を、そこに残留させておく必要があるという、政府文書であった。しかも、その政府の文書は、その後、一度も、公式に訂正が加えられていない。つまり、政策は活きている。
これは『蟻の兵隊』が取りあげた2千600人の蟻たちを、戦後も4年間に渡って、中国で毛沢東の共産軍と闘わせた、その政策とまったく同じ論理である。中華人民共和国を成立させないために、中国の軍閥と合流して、日本軍として戦い続け、550人が戦死し、700人以上が捕虜になった。しかし、現政府は、その政策の、その命令の存在自体を否認し、彼らを勝手に残留し、勝手に戦争を続けた、迷惑な存在として、切り捨ててしまった。軍人とその遺族が支給される、軍人恩給も受給できない。文字通り、棄民、である。
クリント・イーストウッドも既に見抜いているように、帝国主義的な国家は、侵略先の国民だけでなく、自国の国民に対しても、やはり帝国主義的に振る舞うことを、その本質としている。
切り捨てるられたのは、従軍慰安婦や、日本に強制連行された人々だけでなく、戦時中、特高警察の弾圧によって命を失った、多くの戦争に反対した人々であり、戦後に、山西省で戦い続けた、蟻の兵隊たちであり、その後も、中国に政策的に置き去りにされた、残留孤児たちであり、そしてまた、熊本の水俣で、人間としての姿すら奪われて死んでいった2万人の水俣病患者たちである。
これらは、政府の過失ではなく、死ぬことがわかっていて自覚的に実施された、政策的な、棄民であり、殺人である。それが、初めて認められたのが、水俣病熊本訴訟の判決だったのだ。
帝国主義的な国家は、国民を、棄て、殺す。
国内の現状に苛立つあまり、また、現在の自分の生活が苦しいからといって、海外に敵を見つけて、浮かれている場合ではない。