ニューヨーク・ジャズ紀行 第四夜「Birdland:白人モダンな夜」
初出;2007年9月19日(mixi)
第四夜は、バードランド(BIRDLAND)で聴いたベース、ドラム、ピアノのトリオ。私でも名前くらいは聞いたことのあるので、おそらく有名な店なんだろう。トレードマークのフラミンゴとペリカンの写真を載せておく。
トリオ名はとくにないようで、プログラムには、ゲイリー・ピーコック(GARY PEACOCK:ベース)、 ポール・ブリー(PAUL BLEY:ピアノ)、ポール・モーシャン(PAUL MOTIAN:ドラムス)という大御所白人三人組の、メンバーそれぞれの名前がただ併記されている。
ここで大御所というのは、彼らの平均年齢が、一見して70歳を遙かに超えていそうだということ。彼らの経歴を知らない私としては、その一点だけで、一応そう書いておく。
店としては、席もゆったりしていて悪くないし、ウェイトレスのサービスも手際が良い。そして何より、ライヴをする店で重要なのが座席料。とくに、一度目のショーと二度目のショーに対して別々に課金する店と、一度支払えば二度目は不要という店と。映画で言えば、各回入替制か、そのまま座り続けていられるかということだが、これが予算的には満足度を大きく左右する。とくに有名で高い店はそうだ。ここでは、幸いテーブルチャージは一度だけだったので、満足度が高い。しかも、多くの場合、一度目より、二度目の方が、内容が充実して盛り上がる。
しかし、よく考えると、自分の講義もそうなんだな。同じ日に昼と夜に同じ講義をすると、必ず夜の方が密度の濃い充実した内容になる。原稿を作らない私としては、こればりはどうしようもない。
などと、一頻り店を褒めたところで、本題のライヴ。一言で言えば、音の少ない、ライヴだった。音というより、音の数と言うべきか。彼らのスタイルは、モダン・ジャズというのであろうか、前衛ではないが、普通の曲に比べると、音数を少なくすることで様式化を進め、余分なものを削り落とし、ゆったりとした音の間合いを重視するものだ。
だから、この五日間のライヴの中では、アヴァン・ギャルドに次いで、抽象度の高い作りになっている。しかし、高いと言ってもそれはあくまでも相対的なもので、アヴァン・ギャルドに比較すると、遙かにスタンダードに近い位置にいる。
日本の芝居で言えば、歌舞伎を様式美のスタンダードとすると、狂言、能と、次第に抽象度が高くなるが、彼らの音楽は、ちょうど歌舞伎から豪華な衣装や台詞を削り、振る舞いの型で魅せる、芝居のようなもの。あるいは、錦絵に対する水墨画というイメージか。
つまり、シンプルな様式美の追求という方法が、日本の芸術と共通している気がしたのである。そうした日本文化の様式美に親しんだ人なら、彼らの演奏はとても耳に馴染みやすいのではないかと感じながら聴いていた。ちなみに、後に知ったのだが、『NYジャピオン』という日本人ニューヨーク居住者向けのフリーペーパー記者である座間裕子という人は、彼らの演奏を昨年同じバードランド聴いて、昨年度ライヴのベストワンだと評価している。
要するに、スタイルがシンプルで、洗練されているのだが、ただ、この場合の洗練は、黒人的な躍動や力強さを伴わず、白人的なスマートさのみに依拠している。そこが、白人モダンとでも表現したくなる所以だ。実は、前回のジャズ紀行の時にも、いかにも白人的だと感じた音がある。それが、スモークのオルガンを中心とした演奏だった。どうも、洗練や格好良さの基準、あるいは方向性が、やはり白人と黒人とでは、突き詰めると違うような気がする。
ちょうど、深夜のラジオで就寝前に流すのに適した、音数の少ない、洗練された、ゆっくりとしたモダン・ジャズ。そんな世界だ。高齢の彼らの中でも、とくにピアノのポール・モーシャンは、足下も覚束ない。入退場も人に助けられ、杖をついていたが、演奏は確か。